mimitakoyaki

セールスマンのmimitakoyakiのレビュー・感想・評価

セールスマン(2016年製作の映画)
4.1
トランプ大統領の中東7カ国入国禁止令に抗議して今年のアカデミー授賞式への出席を断ったことで話題になったアスガー・ファルハディ監督。
その時からとても気になっていていましたが、ファルハディ監督の作品は今回が初鑑賞です。

ある日、住んでるアパートが無理な工事の影響で倒壊しかけて住めなくなり、慌てて引っ越した先で夫の留守中に妻が何者かに襲われるという悲劇に見舞われます。
深い心の傷を負って不安定になる妻と、犯人を見つけて復讐しようとする夫。
この2人は劇団員であり、同時進行で「セールスマンの死」の公演という劇中劇が描かれています。

みんなスマホを扱い、近代化されたイランでも、やはりまだまだ女性の地位は低く、性犯罪の被害に遭っても女性の落ち度になって処罰されるなどがあるため、妻は警察にも言えず、夫にも本当の心の内までは明かさない苦しみを負います。
夫が妻の痛々しい姿に犯人への怒りを募らせる一方で、妻は犯人探しよりも自分の苦しみを理解しただ寄り添って欲しかったんだと思うのですが、そこが夫婦の間でズレが出てきてすれ違っていく感じももどかしい。

この事件をきっかけに夫もやり場のない憤りや苛立ち、焦りから精神的にも蝕まれていき、穏やかだった性格が荒れていくんですね。
その辺は、おそらく劇中劇の「サラリーマンの死」と重なっていくところがあるのでしょうけど、私がこの戯曲について無知だったのがほんとに残念過ぎます…。

犯人は誰かというサスペンス的要素よりもむしろ人間の様々な感情を重層的に描いていて、善人と悪人という単純な分け方ではない、もっと複雑な内面が状況によって炙り出されるその描き方がとても緻密であり丁寧で、特に終盤の犯人がわかってからの展開は、夫と妻、犯人の複雑な感情が渦巻き、この限られた空間の中で物語がどう転がっていくのか緊張と不安で目が離せませんでした。
人間の心理をここまで深く描き出した手腕は本当に素晴らしいとしか言いようがありません。

倒壊寸前の建物のひび割れた壁や窓ガラスは、平穏だった日常が崩れ落ちそうな不安定さと不穏感、ヒビが入ってしまった夫婦の関係やそれぞれの内面を表しているのだと思います。
「セールスマンの死」をわかった上で見ると、きっともっと多重で深みを感じられるのかもしれませんが、いずれにしても素晴らしい作品でした。

82
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