Inagaquilala

セールスマンのInagaquilalaのレビュー・感想・評価

セールスマン(2016年製作の映画)
4.1
自分的には、とにかくその撮影手法に驚かされた「人生タクシー」に次ぐ、今年2本目のイラン映画。こちらはオーソドックスな演出で、亀裂の入った夫婦関係を丹念に描いていくサスペンスドラマだ。第89回アカデミー賞の外国語映画賞を受賞した作品だが、トランプ政権のイスラム圏6カ国からの入国制限に抗議して、授賞式への参加を監督のアスガー・ファハルディと主演女優のタラネ・アリドゥスティがボイコットしたことでも話題になった。

アスガー・ファハルディ監督の作品を観るのは、「ある過去の行方」に次いで2本目だが、今回も重厚に人間模様を描き、観る者をじっくりと物語のなかに引き込んでいく。とにかく期待を裏切らない監督のひとりだ。

小さな劇団に所属して、現在はアーサー・ミラーの「セールスマンの死」上演のために日々稽古を積んでいる教師のエマッドと妻のラナ。住まいの建物にひびが入り、あわてて劇団仲間が紹介してくれたアパートに移り住んだふたりだったが、舞台が初日を迎えた夜、ひと足先に帰宅したラナが、その新しい家で暴漢に襲われる。犯人は、娼婦をしていた前の住人がまだこの部屋に住んでいると思い侵入してきたのだった。

夫のエマッドは警察に行って洗いざらいを話して犯人を捕まえようと妻のラナを説得するが、彼女は頑なにそれを拒む。仕方なく、駐車したままになっていた犯人の車を辿って、事件の真相にたどり着こうとするエマッドだったが、劇団仲間に事件が知れるに至って、夫婦の関係は次第に複雑なものとなっていくのだった。

舞台で演じられるアーサー・ミラーの「セールスマンの死」の芝居が、現実の出来事にリンクする形で物語は進んで行く。舞台でのセリフがいつのまにか違う言葉になっていたり、必要以上にテンションが上がったり、タイトルの「セールスマン」もおそらくこの劇中劇に由来している。このあたりはなかなか巧妙なつくりになっている。

作品のなかでははっきりと述べられてはいないが(たぶん国や宗教的事情というものもあるのだろうが)、妻が頑なに警察に行くのを拒むのは、当夜にあった出来事が、レイプに近いものだったからだろう。しかも前のアパートの住人についても、良からぬ商売をしている女性というふうに説明される。日本のイヤミス系の作品ならおよそ考えられない抑制された表現なのだが、それがかえって作品に重みも与えている。

最初は警察に捜査を任せようと言っていた夫のエマッドだったが、自ら犯人捜しを進めていくうちに、その行為に取り憑かれていく。妻との関係も微妙なものとなり、やがて舞台に出ている最中だというのに思い切った大胆な行動に出る。ここに至って事件に対するスタンスは妻とはまったく逆なのものとなる。このあたりの心理の逆転劇もこの作品の真骨頂でもある。

最終的にはアスガー・ファハルディ監督は、自分たちが置かれた現状への思いを、妻の口を借りて言い放っているのだが、これがなかなか重く、ずしりと伝わってくる。同じイラン映画の「人生タクシー」もそうだったが、厳しい政治状況下で表現をしていく人間の切実なメッセージがそこには込められている。観た者が、観賞後にいろいろと思いを巡らせる作品でもあるのだ。もちろん、ドラマとしても二転三転、最後まで息を抜けないサスペンスが続く、優れた作品であることは確かだ。
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