茶一郎

セールスマンの茶一郎のレビュー・感想・評価

セールスマン(2016年製作の映画)
4.3
結局、夫エマッドと妻ラナが夫婦、また家庭の居場所である「家」を一時も得ることはありませんでした。
 映画『セールスマン』は鉄のパイプが組まれて造られた劇中劇『セールスマンの死』における「家」が作られていく過程を映しながら、テヘランの著しい建設ラッシュによりエマッド-ラナ夫妻の住む「家」にヒビが入る事故から物語が始まります。客席から見ると「家」に見えるが、舞台役者であるエマッドやラナから見ると鉄パイプが剥き出しになっているニセモノの「家」、そして物語の最初からヒビの入っている「家」、これら二つは最初から夫婦の間に亀裂が生じていることを観客に予期させます。実際、この後、エマッドとラナ夫妻の間に生じているそのヒビは、ある事件によってどんどんと大きくなっていきました。
 
 【粗筋】建設工事によりアパートを追い出されたエマッドとラナ。彼らは地元の小さな劇団に所属し、上映間近の『セールスマンの死』に向けて稽古に励んでいました。仕方なく、友人に紹介されたアパートに引っ越すことにしたエマッド-ラナ夫妻、しかし、『セールスマンの死』初日の夜、悲惨な事件が先にアパートに帰ったラナを襲い、次第に夫婦の関係は悪化していきます。

 【監督】ベルリン・カンヌ国際映画祭で評価される傍ら、今作『セールスマン』で二度目のアカデミー外国語賞を受賞したアスガー・ファハルディ監督は、もはや説明不要、映画人を唸らせ、一般の観客を楽しませる今、最も精密・崇高な大人向けエンターティメントを作る作家と言っても過言では無いと思います。
 2017年のアカデミー賞の際、イランを含めた7ヶ国の国民の入国を禁止したトランプ大統領に対抗し、アカデミー賞授賞式をボイコットしたファルハディ監督。今作のアカデミー外国語章受賞は、その監督の行動を受けの受賞、いわば「同情受賞」などと言われましたが、そんな下品な言葉は吹き飛ぶほど『セールスマン』は群を抜いて面白い作品でした。

 ファルハディ作品は常に、人間の信仰-それはイスラム社会における宗教であり、最も近しい「他人」である家族や友人への信頼-が揺らぐことから来るミステリー、もしくは人間コワイ映画を描き続けています。
 一般的に「イラン映画」と聞いて真っ先に思い浮かぶアッバス・キアロスラミ監督やマジッド・マジディ監督の映画世界「貧しい市井の人々、子どもたちの世界」というより、ファルハディ作品世界は「豊か・お金に困っていない大人の世界」イランの中流階級を描きます。尤も、ファルハディ作品の登場人物が中流階級以上で社会的地位があるからこそ、中々、他人に助けを求められない・警察に通報できない今作の夫婦のように彼らは世間体や他人の噂に苦しむのです。
 
 そして何よりファルハディ作品において重要なのは、ファルハディ監督が「登場人物の間に疑念・不信感が湧くこと」にしか興味がないという点です。これは監督の作品が精密すぎる点をヒッチコック作品と重ねるように語ると、ファルハディ作品において「嘘の真実」や「事件の実態」は、ヒッチコックの『バルカン超特急』における機密情報のようにマクガフィンに過ぎません。『別離』で娘の答えを見せないのも、『ある過去の行方』でメールを見せないのも、今作『セールスマン』で事件の全貌を見せないのも、全てファルハディ作品におけるマクガフィンだからなのだと思います。

 さて、この『セールスマン』の到達する地点も、『別離』や『ある過去の行方』のような夫婦・人間コワイ臨界点です。被害者は加害者になり、加害者は被害者になる。そのドアを閉めるともう後には戻れない、待っているのは夫婦の「断絶」。彼らは、二人で共演している演劇の中でしか夫婦を演じることができないのです。
茶一郎

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