八木

セールスマンの八木のレビュー・感想・評価

セールスマン(2016年製作の映画)
4.0
「セールスマンの死」が要予習作品かもしれません。見終わったまず始めの感想は「これを『わからない』と言ったら頭悪いって言われそうでこわい」という焦りでした。そのくらい、ザ・文芸作品だと思います(文芸って言葉をこういうときこういう表現で便利使いするのもよろしくない気がした)。
ビジュアルや(良い意味での)定型的山場や音楽で、「面白い」ということをわかりやすく伝える映画ではないどころか、通常映画の文脈的に「当然こうあるべき」という展開はわりとうれしくない形でほぼ裏切ってくるのが最大の特徴です。そして上映時間は120分を超えます。この映画の合気道的気のそらし方が名人芸すぎて、長さは感じませんでした。監督作もこの映画単体も、2回以上の鑑賞に耐えるかどうかが価値判断の分かれるところではないでしょうか。
ジャンルで分ければ確実にミステリーなんですけど、ミステリー自体は超浅く、ミステリーを解き明かすために行動する動機はいつまでたっても明確に出てきません。謎を明かすために取る行動もまるで本気に見えない。途中、謎(でもないのだけど)にとても接近する「トラック追跡」の場面があるのですが、僕はずっと「いや店のトラックでしょ!だから店のトラックでしょって!誰のじゃなくて店のトラックでしょ馬鹿かよ!」と思ってました。現れた謎が弱ければ手がかりも思考も弱いから、ずっとミステリー自体には興味持てないんですね。そして、この映画は、エンタメになることを拒否することについては確実に一貫してた。だから、完成度が高い作品に思えてしまう。わりと名のある監督さんであることを後になって知ったため、余計にそう思える。自分に向いた作品ではなかっただけで、実際つまらないとは全然思いませんでしたし。
じゃあこの映画はどこを向いて作られた作品かというと、劇中の夫婦が劇中劇「セールスマンの死」でも夫婦を演じているという点と、イスラム的戒律がもたらす文化(笑えないあるあるのようなもの)という点から想像できたりすんじゃねえかなあ、と思います。例えば、抑圧され、統制された性に関することと、夫婦が構築する関係について。劇中で主役の奥さんがある悲劇に遭うのですが、「浴室に入った」というその意味合いは具体的に一切説明されないのですよ。少なくとも字幕では。そこから発生する映画的文脈に『移行させない』ということが、イスラム圏の人間でない僕には、映画自体も含めて異様なんですよね。全く違う文化を辿って作られた映画というのは『異様だった』という感想がまずきて、それ以外のことはまあ、とりあえず「セールスマンの死ってどんな映画なんかね」くらいなのでした。
終盤、一応ミステリーにおける超重要な山場で、見たこともないくらいダラダラとした新キャラ登場から揺さぶりが延々と続くのですが、この水中をもがくような人間たちの行動・言動って、まったく新しいスリルを生んでいたと思います。そして、ラストのカットを見た時には統制され、抑圧された事実を抱えながら生きていくという覚悟を主役夫婦に見た気がしました。ただ、当然終盤の幻のようなダラダラ展開に「はよ殴れよ馬鹿か」って人も当然おるでしょ僕も含めて。許してくださいよ。
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