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ハクソー・リッジのnetfilmsのレビュー・感想・評価

ハクソー・リッジ(2016年製作の映画)
3.8
 1930年代、緑豊かなヴァージニア。幼少期のデズモンド・T・ドス(リス・ベラミー)は歳の近い弟と共に、裏山のそり立つ崖を駆け上がるやんちゃな少年時代を過ごした。父親のトム(ヒューゴ・ウィーヴィング)はウィスキーの瓶を抱えながら、故人の墓に話しかける。ふらついた彼は墓石にアルコールをかけるが、割れた瓶の欠片で手に裂傷を負う。庭で繰り広げられる兄弟喧嘩、父親は門の前で高みの見物をしているが、母親ベルサ(レイチェル・グリフィス)は心配そうな表情で2人の息子を嗜める。やがて暴力がエスカレートしたデズモンドはレンガをやおら掴むと、弟の額めがけて振るう。やり過ぎだぞという父の罵声、意識を失った弟の姿を見てようやく我に返ったデズモンドは、カインとアベルの宗教画を見ながら神に祈る。教会での賛美歌の練習時、外で車に挟まれて重傷を負った友人を助けるために、デズモンドは勢い良く駆け出す。ここでは弟を殺める寸前だったレンガが友人の命の危機を救うツールとなる。メル・ギブソンが描く紙一重の罪と罰、心に巣食う痛みの感覚の描写はデズモンドの人格を丁寧に紡いで行く。PTSDを抱えた父親の母に対する折檻の描写はメル・ギブソンのフィルモグラフィに通底する「父と子の悲劇」を浮かび上がらせる。彼が病院の入り口で出会いギョッとする帰還兵の描写は、処女作『顔のない天使』の傷ついたメル・ギブソンの顔半分に呼応する。

 思えばこれまでのメル・ギブソン作品は現代や未来ではなく、専ら過去の神話に思いを馳せた。『顔のない天使』では60年代後半のサマー・オブ・ラブ時代の少年の青春、『ブレイブハート』では13世紀末のスコットランド独立運動、『パッション』では紀元前のイエス・キリストが存命だった時代まで遡り、『アポカリプト』ではマヤ文明の時代を描いた。彼の作品に通底する主人公像とは、徹底して無力な人間に他ならない。『顔のない天使』では異父兄弟の姉になじられ、『ブレイブハート』では愛する父と最愛の妻とを殺された男がどん底から這い上がる。『パッション』では抵抗すること自体が禁じられたイエス・キリストの悲劇が問われ、『アポカリプト』では惨殺された父親の「恐怖に打ち勝て」という言葉に主人公は一念発起する。今作においても愛する人ドロシー・シュッテ(テリーサ・パーマー)との平穏な暮らしを得ながらも、彼は進んで祖国の栄誉に身を投じる、然し乍ら「絶対に銃を持たない」良心的兵役拒否者として。  メル・ギブソンの凄惨な作品とは思えないほど驚くような牧歌的な前半の描写は、戦場の地獄のような光景の撒き餌でしかない。スタンリー・キューブリックの1987年作『フルメタル・ジャケット』やクリント・イーストウッドの86年作『ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場』のような鬼教官グローヴァー大尉(サム・ワーシントン)の訓練場面を経て、ハクソー・リッジ(前田高地)の陣形から練られた戦争場面は逃げ出す場所もない至近距離での地獄絵図に観客を引きずり込む。

 第二次大戦末期にしては恰幅の良い日本兵や疲弊していたはずの日本軍の武器など時代考証としてはやや疑問も残るものの、鈍い痛みが延々と続くゴア描写や夢落ち、洞窟の危機などの細かい描写はやはりメル・ギブソンの手癖そのものと言っていい。恐らく彼は『ドローン・オブ・ウォー』のような近代的な戦争にはまったく興味がなく、人々が肉弾戦の中で泥に塗れ、死体の山の中をただただ前進する姿にしか興味・関心が向かないだろう。本格的な夏場を迎える手前、ハクソー・リッジのそり立つ壁を越えた先には人々の死骸が転がり、これ幸いと腐乱した人肉にネズミたちが群がる。火炎放射器のスロー・モーションには80年代アクションの悪しき残像が一瞬頭をよぎるものの、簡単にもげる手脚やさりげない臓物のアップが容赦ない。一度目にはヘルメットが飛び、次に脳髄を打たれる兵士の悲劇には絶句してしまう。しまいには胴体から下のない死体を防弾チョッキ代わりに取り扱う始末で、監督がスティーヴン・スピルバーグの『プライベート・ライアン』やクリント・イーストウッドの『父親たちの星条旗』や『硫黄島からの手紙』以降の戦争映画作りにいかに腐心したかが垣間見える。ただそれでも拭えないのは、この美談がどちら側から照らす美談なのかに尽きる。洞窟の中で日本兵に応急処置を施したデズモンドの姿勢は確かに賛美されるべき行いだが、すぐ目の前の人は助けるが、彼の目線に入らなかった人たちの累々たる屍の気配には当然一切の配慮が払われない。岡本喜八の71年作『激動の昭和史 沖縄決戦』を観れば明らかなように、沖縄では9万4000人もの民間人が無残にも戦争の犠牲になった。戦場で75人もの兵士の命を救ったデズモンド・T・ドスの逸話は確かに賞賛されるべき美談だが、そこに描かれなかった事象に目を向けるための想像力を我々は失ってはならないはずだ。
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