フラハティ

ハクソー・リッジのフラハティのレビュー・感想・評価

ハクソー・リッジ(2016年製作の映画)
4.3
自分だったらどうするか。


この映画は絶対的にメルギブが撮りたかった題材なんだろうなーと個人的には思ったりする。
敬虔なキリシタンであるメルギブソン。
本作のデズモンドもそうで、結果的に彼の信念が多くの命を救うことになる。
だから宗教万歳映画なのかと言われれば、そうじゃない。
デズモンドは当時の戦場では異常だし、現代の僕らが見ても彼は異常だと思う。
彼の行動は常識を越えてる。

デズモンドの生い立ちを振り返れば、実家は熱心なキリシタンだが、戦争の影響により暴力を振るう父親。
ついかっとなって、レンガで殴ってしまった弟。
夫の暴力に耐えてばかりの母親。
暴力に暴力では何も学ばない。
祈ってばかりの毎日でも、変わることはない。
誰かを変えるには、強い信念が必要なんだ。
そして信念に従い行動すれば変わっていく。どういう形となっても。
デズモンドは無意識のうちにそう感じていた。


戦場に向かわずとも、命を救うことはできるはずだが彼は頑なに衛生兵に志願する。
その背後には色々思うことがあるだろうが、戦場に向かえる立場であるのに地元に残ることは怠慢だと感じていたからっていうのが一番納得がいく。
健康な男であるという最低限の条件を満たしているのに、なにもしないのはただの怠慢じゃないかと。

戦場で戦わないのは愚か者。
多くの命を奪った人間が国では讃えられる。
多くの命を救ったものはどう扱われるんだろうか。
命を奪うことが戦いなら、命を救うことも戦いじゃないのか。
この悪夢のような土地で、僕はどうすればいいんだ。
「神よ、私は何をすればいいのですか。声を聞かせてください。」


沖縄戦ということで日本人としては複雑な心境にはなるが、偏見的な描き方になっていないのは見やすい作り。
メルギブは脚色とかエンタメっぽい描写があるけれど、彼の作品の特徴を知っておけばそこまでの違和感は感じない。

本作は、史実だからこそ映画として成り立っている。
フィクションであれば、嘘くささが漂う表面的なただの美談という印章にしかならない。だから本作は史実であるという部分が強調されている。
ガーフィールドの好演もはまってるし、メルギブはやっぱ監督の才能あるわ。


本作の最後ではこう語られる。
「英雄とは私のことではなく、戦場で命を落とした兵士たちだ。」
彼は自分の行動が、異常であった戦場で行える最低限の信念だと思っていたから。
国のために戦うことは素晴らしいことなのに自分は戦えない。
だから自分が行ったことは、最低限の行いでしかない。
救えなかった命はもちろんあるわけで、医者のように万能な治療ができるわけでもない。
彼は自分の行いを誇るわけではなく、救えなかった命に対する後悔もあったはずだ。

戦争という国の起こしたことに、たった一人の青年が抗うことはできない。
間違っているとしても、それが正義と語られているなら従わなくてはならない。
だからデズモンドは国のためというよりも、国が起こしたことに翻弄されている兵士たちを助けたいと思っていたんじゃないかなぁ…。

現代の僕たちは戦争が良いことだと思ってない。当時にもそう思っていた人はいたかもしれないが、戦争に参加することに反抗なんてできないだろ。
デズモンドの戦争に対する思いは語られていないが、"人という存在"を救うということを第一に考えていた。
戦争に正義や悪はない。
国のために戦う。
戦争で人を殺すことも、自分が殺されることから守るため。
デズモンドはそこまで強くはない。
ただ救うことしかできない。
だがその救いは、光となる。
人としての光だ。


彼のような命を救うという行動をとった人間はどれほどいたのだろう。
デズモンドの行動は、戦場から無事に帰って来たからこそ称賛されただけかもしれない。
だから彼は偶然、多くの命を救えたんだと思っているんだと思う。
同じような行動をしていた人は、公になっていないだけでたくさんいたのかもしれない。
そう、これは美談ではない。
一人の青年の当たり前の行動なんだから。
フラハティ

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