耶馬英彦

ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャーの耶馬英彦のレビュー・感想・評価

4.0
 大学では文学部に籍を置いていたのに、恥ずかしながらサリンジャーは一度も読んでいなかった。「ライ麦畑でつかまえて」というタイトルが能天気な青春小説に違いないという先入観をもたらしたというのが、若かりし頃の当方の言い訳である。
 遅れ馳せながら鑑賞の前日、ジュンク堂で白水Uブックスの野崎孝さんの翻訳を買い求めたものの、最初のほうを読んだだけで上映時刻を迎えてしまった。それでもサリンジャーの、世の中に斜に構えたスタイルはなんとなく把握できた。
 逆に映画で小説の内容が少し紹介されていたが、ライ麦畑の端っこが崖になっていて、子供が次々に落ちそうになるのを捕まえてあげる仕事を永遠に続けるというイメージを聞いて、美しい映像と厳しい現実が浮かび、それがたいそう比喩的であり、そして芸術的であるところに、サリンジャーの不世出の才能を理解した。
 映画のサリンジャーはホールデン・コールフィールドほどエキセントリックではなく、友人と酒を飲みタバコを吸い女の子に気軽に声を掛ける、いかにも普通のアメリカの男の子であった。ただ文章を書くことだけに執着しすぎるきらいがあって、好きな女の子の誘いよりも小説を書く時間を優先してフラレてしまうほど、書くことが好きである。根っからの小説家なのだ。
 映画ではユダヤ人の血が半分混じっていることや、ノルマンディー上陸作戦の後にアウシュヴィッツを訪れたことなどがさり気なく述べられていて、注意深くセリフを聞いていないとわからないほどだが、戦争がサリンジャーの魂に深い傷を与えたのは間違いない。PTSDという言葉が生まれるにはベトナム戦争の惨禍を待たねばならなかったが、第二次大戦後にももちろんPTSDはあった。
 しかし精神科医は役に立たず、役に立ったのはヨガと瞑想で、それらの力を借りつつ、結局は書くことが癒やすことであった。若者の話を書くのは、若者がまだ汚れを知らない無垢だからとサリンジャーは言う。中原中也は「汚れつちまつた悲しみに」という詩を書いたが、意味は同じことだろう。

 学校の講師であり文芸誌の編集者であるバーネットや女性編集者ドロシー、その他たくさんの出版関係の人々との関わりと、家族関係のダイナミズムが詳細に描かれ、サリンジャーのことを知らない人にもすべて理解できるようになっている。作品として独立して纏まっており、補完の必要がない点は高く評価できる。
 俳優陣はいずれも好演だが、中でもバーネット役のケビン・スペイシーは素晴らしい演技で、サリンジャーがどういう人間であったかを浮き彫りにした。不採用に耐えること、何度も書くことという作家にとっての必須条件を伝えることで、サリンジャーに肚を決めさせる場面は素晴らしい。
 主人公を演じたニコラス・ホルトはリドリー・スコット製作総指揮の「ロスト・エモーション」で難しい役を上手に演技していたが、本作の演技もとても見事であった。青年らしい揺れ動く世界観と迷いの中で、真実を書きたい、ありきたりの物語は書きたくないという魂のこもったセリフを言う。書き上げた「ライ麦畑でつかまえて」を編集者に渡す場面では、作家が命を預ける場面に見えて非常に感動的であった。
 書くことが癒やしだが、出版することで社会との煩わしい関係性が生じる。身を削るようにして小説を書く作家にとって、書くことと生活することは相反であり、どこまでも悩ましいところである。出版がすべてだと言っていたドロシーが、最後に出版がすべてではないと堂々と言う場面には、主人公と一緒になって苦笑いしたが、この台詞によって辛かったサリンジャーの人生が救われたような気分になった。
耶馬英彦

耶馬英彦