ベイビー

ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャーのベイビーのレビュー・感想・評価

3.9
よく映画やドラマを観ていると、「J.D.サリンジャー」とか「ライ麦畑でつかまえて」という言葉がやたら引用されています。

そのたびに話についていけない自分がいて、とても不自由だと感じることが多かったので、円滑に物語を理解するために「ライ麦畑でつかまえて」を読みました。随分昔の話です。

話の内容は、17歳の拗らせ高校生ホールデン・コールフィールドが、世間の欺瞞や憤りを独自の口調で皮肉りながら、ニューヨークの街を歩き廻るという物語。

物語はホールデンの一人称で綴られており、皮肉一辺倒な筋書きと、当時の若者言葉を強引に訳しただろう和訳で文章がとても読みにくく、僕は読みながら「何が面白いんだろう?」と思っていました。

しかし最後に読み終えると心にドカッと焼き付くものがありました。ただ単に、独りよがりな文章が続く中、最後の数ページに差しかかると、つらつらと綴られた描写が不意に美しく輝きはじめます。今になってもあの時に受けたインパクトが、しっかり心に残っているのです。

今作は、その「ライ麦畑でつかまえて」の誕生までと、その後のサリンジャーを描いた物語。

彼が小説家になることの理由と決意が分かりやすく描かれており、そして"ホールデン・コールフィールド"という存在が、小説のキャラクター以上に確立していくさまも丁寧に描かれています。

サリンジャーは頭の中でホールデンを成長させ、育てていくうち、キャラクターであるはずのホールデンを尊重し始め、やがて親友として向き合います。

それはまるでサリンジャーの孤独を埋めるかのよう。どんどん彼の中で確立されて行くホールデンは、時に伴走者となってサリンジャーの人生を引っ張って行くのです…

僕はこの作品を観ながら、ずっと「ジョーカー」のことを考えていました。現時点でまだ「ジョーカー」を観ていませんが、YouTubeで「ジョーカー」の予告を観た時から、ジョーカーに潜む孤独感が「サリンジャーぽいなぁ」とずっと思っていたのです。

他人には分かってもらえない自分がいて、誰も自分のことを何一つ分かってくれないと感じてしまった時、自分の一番の理解者は自分自身だと感じる時があります。

本当の孤独とは、一人で寂しく過ごす時間とかではなく、人が大勢居る中で誰一人自分を理解してくれないという、闇に埋もれそうな苦しみ。世界中で自分だけが取り残されたような絶望に感じる不安です。

孤独は自分の中で自分にとって最良の理解者を作り出し、その理解者を伴走させて、自分が輝ける世界へ導いてくれるよう望みます。

サリンジャーで言えば、もちろん理解者はホールデンであり、それと似た孤独感を「ジョーカー」の予告編で感じてしまったのです…

このような僕の感想から見れば、この作品の邦題サブタイトルである「ひとりぼっちのサリンジャー」は間違いだと思います。なぜならいつも彼の側にはホールデンが居たのですから。

そもそもサブタイトルなんていらないのですが、もし付けるのであれば「孤独なサリンジャー」が正しいかと、個人的には思えてしまいます。
ベイビー

ベイビー