わたがし

奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガールのわたがしのレビュー・感想・評価

5.0
 最初のほうはただのラブコメだと思って、何だかモテキとそんなに変わらないじゃん、いつもの大根仁じゃん(嫌いじゃないし全然好きなんだけど、またこれかよ感)と思って観てたんだけど、やっぱり異常にリアルな編集室描写とか、水原希子をエロく撮ることに命賭けてる感じとかは大好きでとてもしあわせな映画だなと思った。
 でもしあわせで終わらないのがやっぱり大根仁で、クライマックスからのラストが本当に大人になるということの強烈な苦み、青春の終わり、現実の始まり、それらがこの映画(楽しい時間)の終わりでもあるという。もうめっためたに泣いてしまった。憧れていた人になりたくて、思い描いていた大人になりたくて、必死に必死に頑張って走ってきた道の果てには何があるのか、大人になるって何だろう、成長するって、自己実現って何だろう、いろいろなことがグングングングン頭の中を巡りに巡って、観始め頃の「この映画ただの安いラブコメじゃね??」みたいな安易な憶測が粉々のぐじゃぐじゃに潰される。
 ここからは多少本編に突っ込んだことを言うけど、つまり、まさにこの「奥田民生になりたいボーイと出会う男すべて狂わせるガール」という映画自体がこの映画における水原希子で、主人公のコーロキの憧れる奥田民生というのも結局のところ水原希子だったのではないかと観た後に思った。
 夢を追うこと、夢を追っている自分に酔っている感じ、自分が憧れの人間像に近づくために日々を必死に生き抜くということ、世間的にはそれらの行為は「かっこいい」だの「偉い」だの言われがちだけど(まあそんなこと言う人は大体すごい無責任に言うんだけど)、実際のところ、それらの行為にかっこ良さなんてひとつもなくて、バカな男がエロい女に弄ばれてメロメロになっている状態と何ひとつ変わらないんだということを思った。男という生き物は、たぶんこれからもずっとずっとそういう愚かさを背負い続けながらアホ面でポンポン子孫を残していくんだろうな、と思いながらあのエンドロールを眺めていた
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