【ヒースジョーカー】
ヒースジョーカーは、
『俺も悪人なのではないか?』
そう感じさせる恐怖です。
ヒースは常に、
『逃げ場のない二択』を与え、
『人間は選択肢を失えば』
『自己犠牲ではなく』
『自己都合を優先する』
という現実を突きつけてきます。
つまり観客は、
『ジョーカーを客観的恐怖』
『悪へと誘いし悪魔』
であると認識します。
【ホアキンジョーカー】
ホアキンジョーカーは、
『俺もジョーカーになってしまうのか?』
そう感じさせる恐怖です。
ホアキンは常に、
『逃げ場のない環境』に身を置き、
『人間は隣人愛を失えば』
『社会倫理ではなく』
『個人倫理を優先する』
という現実を突きつけてきます。
つまり観客は、
『ジョーカーを主観的恐怖』
『己へと誘いし英雄』
であると認識します。
【ヒースとホアキン】
人は何かを志す時、
『俺でも出来るのではないか?』
『選択肢の増加を要因』とします。
『ヒースは選択肢を奪うジョーカー』
『ホアキンは選択肢を与えるジョーカー』
ヒースは『善』の選択肢を奪い
ホアキンは『悪』の選択肢を与える
両者に共通するのは、
『人間は突き詰めると』
『悪の選択肢しか残らない』という、
『彼らにとっての希望』です。
僕らに必要なのは、
『僕にもなれるのではないか?』
という希望ではなく、
『僕もそうなってしまうのではないか?』
という自覚を持ち続けることです。