ローズバッド

ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリーのローズバッドのネタバレレビュー・内容・結末

2.0

このレビューはネタバレを含みます


「お話」の補完より、「デザイン」を!


ダメダメな映画でも、最後まで観るタイプなのだが、初めて、途中で席を立ちたくなった。
それぐらい、前半は、とにかく退屈。

犯罪逃避行、カーチェイス、戦争アクション、列車強盗、裏社会のパーティー、心理戦の博打、、、様々な映画ジャンルの「型」どおりの展開が続く。
それぞれ、新鮮味もドラマ性も、まるで無い。
「型」をなぞっただけだからだ。
5分前に登場したキャラクターの、別れや自己犠牲を描かれても、感情が揺さぶられるわけがない。
今どき「カードを袖に隠す」なんて、愚鈍なイカサマを見せられても困ってしまう。

そして、それらが「遠い昔、はるか彼方の銀河系」に見えない。
実際の地球の風景(スラム・道路・空港・戦場・列車・パーティー)に、クリーチャーやドロイドや帝国軍がいるだけにしか見えない。
スターウォーズ・シリーズでありながら、映像にワクワクしないのだ。

そもそも「スターウォーズは、デザインが9割」なのではないか。
第一作に衝撃を受けた少年たちは、宇宙船やダースベイダーやライトセーバーなどの「見た目」や、チューバッカやR2D2との会話が成立している不思議な「世界像」など、観たことのない遠い宇宙社会の斬新な「デザイン」に夢中になったのであって、「お話」に惹かれたのではないはずだ。
しかし、(商業的な要請から)スターウォーズ・サーガが紡がれ続けるようになって、ファンの興味を持続させるために、「お話」を補完することだけが重要になってしまっている。
「あのセリフ」に理由付けをする事や、「お馴染みのアレ」をいつ登場させるか、そんな事ばかりに注力している。
「お話」を転がすために、クリーチャーの言葉を字幕で説明したりもする。

撮影に関しても同じ問題がある。
にぶいライティングと、色数を絞ることで、薄暗い“スタイリッシュ”な描写を気取っているが、もっとハッキリとした描写で、ポップでキッチュな世界を明確に示すべきだ。
観客は、そこから勝手に世界を広げて想像するのが楽しいのだから。

不思議で魅惑的な「デザイン」の「遠い昔、はるか彼方の銀河系」に、想いを馳せる感覚がまるで起きないため、ワクワクしないのだ。


中盤からは、やや面白くなる。
何より、L3-37という女性型ドロイドの登場のおかげだ。
「ドロイド同士に格闘させる」という、現実にすでに普通に存在する光景を見せられ、うんざりしていると、彼女(L3-37)が、それをドロイドの“人権”無視だと批判する。
また彼女は、「ランドに愛されて困っている」と語り、それを聞かされたキーラは愛想笑いで返す。
これらの、L3-37が「ドロイドのくせに、人間ぶっている」、ただのギャグとして提示されたシーンが、その後の、奴隷労働させられていたドロイド達の反乱、そして彼女の死、ランドが本当に愛していた事が判明する事で、ひっくり返される。
「ロボットに心があり、それを本当に愛する人間がいる」という映画は今どき珍しくないが、L3-37のキャラクターや、いかにも機械っぽい見た目が、ギャップとして効いているため、フレッシュな世界像となっている。

ラストの展開、砂漠の星に黒人女性たちがキャスティングされているのは、白人によるアフリカからの資源搾取を暗喩しているのだろう。
奴隷労働からの反乱シーンも含めて、現代のアメリカ映画らしく、ポリティカルなテーマを下敷きにしている。
それが、「荒唐無稽」が持ち味のスターウォーズに必要か?は疑問だが、「型」の羅列でまったく興味が湧かなかったストーリーに、背骨を通す効果が生まれているのは間違いない。


とにもかくにも、もう一度、スターウォーズ・シリーズが面白くなるためには、斬新な「デザイン」を、もう一度、発明する事が必要だ。
もちろん、それは、もの凄く大変な事だ。
『スターウォーズ/新たなる希望』や『ブレードランナー』や『マトリックス』のような、「映画だけにとどまらない、人類の想像力の転換点を作る」というレベルの創作だからだ。
そんな奇跡的な作品は、なかなか生まれるものではないが、せめて、BB-8ぐらいの完成度の高いドロイドやクリーチャーを、見せてくれれば楽しいのだが…。