朱音

手紙は憶えているの朱音のネタバレレビュー・内容・結末

手紙は憶えている(2015年製作の映画)
3.2

このレビューはネタバレを含みます

個人的にはラストが納得出来ない作品。

認知症を患い記憶を保持出来なくなった老人ゼヴが、協力者である友人がしたためた手紙だけを頼りに過去の復讐を果たそうとする物語。

まずこのアイディアが素晴らしく、かつてない映画体験を味わう事が出来た。
記憶を維持出来ないことによるサスペンス自体はクリストファー・ノーラン監督の「メメント」などでも描かれているが、復讐計画を実行するのが90歳を過ぎた老人であるということが独特の緊張感や無常感を与えている。
復讐を企てるゼヴに対して皆が無警戒で接してくる描写などはサスペンスとしては非常に新鮮。
人生の最晩年、このような事に手を染めなければならない言いようのない寂寥感。眠りから覚める度に妻を亡くした事を忘れ、その事実を繰り返し手紙で知らされる彼の表情が切ない。

抑制の効いた演出、クリストファー・プラマ―をはじめとした老役者たちの佇まい、彼らの醸し出すバックボーンを想像せずにはいられない年輪を重ねたその表情は、語り過ぎない脚本とも相まって非常に味わい深い。

それだけにラストのどんでん返しはいかがなものか?
ゼヴを突き動かしていたのは家族を奪われたことによる怒りと悲しみ。
数十年の時を経ても、結婚し子や孫が出来たとしても、決して癒されることのない喪失感が彼の原動力なのだと感じていた。そのすべてが覆ってしまった。
彼は奪った側の人間であり、例え別人に成りすまし、罪の意識からその記憶を封印していたんだとしても、認知症でそこがすっぽりと抜け落ちて、まるで反転したかのように逆の立場の人間だと思い込むなんてことあるのかな?
マックスの言によってそう吹き込まれていたんだとしても、あそこまでの行動に至らしめるものなのか?
あまつさえ彼は2人目の容疑者の下を訪れた際に、彼が収容されていた側の人間だと知るや、シンパシーを感じ、銃を向けた事を泣いて詫びたのだ。この感情は一体どこから来たのか?

なるほど確かに観かえしてみるとそれらしい伏線は所々に張ってあると思う。ホテルでアクアウォール(ガラス壁に水が流れているインテリア・オブジェ)の前に立ち、水でぼやけた自分の姿を見て思わず手を伸ばすシーンなどは見事な暗喩表現だと思うけれども…。

筋書き上の辻褄はともかく、感情の辻褄という部分でいまいち納得が出来ないラストだと思った。


人間を描いたドラマとして印象的で味わい深いと感じた演出が多く、ゼヴがピアノを弾く後ろの階段から男が降りてくるシーン、目覚めた病室に居合わせた女の子に手紙を読んでもらうシーンなどとても良かった。
中でも3人目の容疑者の息子。警察官で地方の孤独で冴えない中年男性の侘しさを漂わせつつも、人懐こく、訪ねてきた人間に酒を振る舞い久しくなかった他者とのコミュニケーションを心から喜んでいた彼が、豹変し、ナチ信奉者であった父親の影響と思われる獰猛な差別意識をむき出しにする場面はとても恐ろしく、吠えまくる大型犬、家の近くにある軍事演習施設?か何かの轟音が鳴り響くといった不穏な演出も良かった。


アトム・エゴヤン監督の他の作品を観たことがなかったのでとりあえず本作についてはこのような時評となった。彼の表現やテーマなどもっとよく理解出来ればまた見えるものがあるかもしれない。
少なくともそういう興味をひかれる監督だとは思った。
朱音

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