このレビューはネタバレを含みます
自宅で。
2016年の洋画。
監督は「アララトの聖母」のアトム・エゴヤン。
あらすじ
ニューヨークの介護施設で暮らすゼヴ(クリストファー・プラマー「ゲティ家の身代金」)は今年で90歳。最近、認知症が進行し最愛の妻ルースが亡くなったことさえ忘れてしまっていた。そんなある日、同じ介護施設で暮らすマックス(マーティン・ランドー「背徳の預言者 ウォレン・ジェフス」)から一通の手紙を託されたゼヴ。実は2人はアウシュビッツ収容所からの生還者であり、ナチスに家族を殺されていた。その手紙には家族を殺した「ルディ・コランダー」と名前を変え、暮らしているある兵士に復讐を遂げると書かれた内容が記されており、その手紙とかすかな記憶を頼りにゼヴは単身コランダーを探す旅に出かける。
Netflixにて。
普段だったら、絶対スルーするような作品なんだけど、公開翌年の「映画秘宝」の著名人ランキングのページで何人かが挙げていて、気になっていたので鑑賞。
要は「復讐」というお題目の老人のロードムービーなんだけど、鍵となるのが主人公であるゼヴが「認知症」だということ。
それによって、眠ってしまうとここがらどこで自分が何をしているのかもわからなくなってしまう。
まぁ、俺の祖父母もまだらだったので、今作のゼヴのように必ずしも起きたら記憶がなくなるってことは今作みたいに、そう都合良くはないんだろうけど、今作に限って言えばそのポイントによって、いつ記憶が消えるかわからないスリル要素も加味されている作りは上手い。
また、ゼヴを演じたクリストファー・プラマーの好々爺にして儚さも併せ持つ繊細な演技がまた良い。今作では二箇所ある子どもとの微笑ましい触れ合い然り、所々で見せる弱々しい面や起きて記憶を忘れてしまった時の「あぁ…だれかこのおじいちゃんを助けてやってくれ…」と「同情」を誘うような感じが抜群だった。
また、前半は「復讐」というお題目を抜きにしたら、ロードムービーに近い流れてから一転、ついに取り返しのつかないところまでいってしまった時のどうしようもなさまたはやるせなさたるや。
ここでの警官役のおっさんも、また一見「いい人」そうに見えながらも、飼い犬に対して高圧的だったり、ゼヴがユダヤ人だと知ると本性を露わにする詰め方が実に厭な感じだった。
片田舎の普通のおっさんでも、相手が「ユダヤ人」と分かっただけでこんなにも簡単に冷酷になれるなんて。
しかも、本人は当事者ではないにも関わらず。血脈から受け継がれる「差別」という名の意識によって、ここまで残酷になれるなんて。
正直、アウシュビッツとかユダヤ人大量虐殺とか授業で習った内容ぐらいの知識しかないけど、そんな俺でも過去の惨劇の影響性について、考えられずにはいられなかった。
あと、個人的にすごく良いなと思ったのは、その邦題。
「手紙は憶えている」
一見すると手紙だけは、その事実を書き認めしているっていう意味の「手紙は憶えている」っていう意味だと思ったけど、本作を最後まで観ると、その意味合いだけでは収まらないことがわかる。
「覚えている」ではなく「憶えている」。
意味の違いを調べると、より心的な意味合いでの意味合いが強いことがわかり、記憶が失っても、過去に過ぎ去っても「どうか、心の隅にとどめておいて」という、「ある人物」の想いを思うと、穏やかな作品ながら、静かに戦慄してしまう自分がいる。