ラグナロクの足音

哭声 コクソンのラグナロクの足音のレビュー・感想・評価

哭声 コクソン(2016年製作の映画)
4.0
韓国一の顔面力といえばソンガンホで異論はないはずだが、日本にも彼に匹敵する俳優が存在していたことにこの映画をみるまで気づかなかった自分を恥じたい。そんな存在感抜群な國村隼が演じる謎の日本人を巡り、不可解な殺人事件が連発しているコクソン村が大混乱になるという話。主人公である刑事が自らの娘が事件被害者の特徴である謎の奇病にかかり、その原因を日本人のせいにし出すところから、あの手この手で日本人殺しに奮闘するわけだが、のちにソウル一の腕だという祈祷師が出てくることで急展開を迎え、事件の真の犯人は日本人ではなく、序盤に刑事が出会った少女だという結末にたどり着く。日本人は、人間ではないその少女を除霊するために村にやってきた同じ祈祷師だと。この映画の最大の醍醐味は、最終的にどちらが善でどちらが悪なのかを明示しないことだ。悪霊だという少女に崖から突き落とされた日本人が最終的に殆ど無傷で牧師の前に現れるが、牧師の恐怖心に比例して姿が悪魔に変身する。演出自体はちょっと直接すぎたが、日本人の手に穴が空いている描写から、彼がイエスキリストであることは明白で、そんな人間に救いを与える存在であっても、受け取る側の信仰心が少しでも揺らいでしまえば、宗教は善にも悪にもなりうるということを伝えたかったのではと感じた。そしてそんな真実と虚構の揺らぎを実現してしまうものこそ、最後になぜか出てくる祈祷師が持っていた"カメラ"に他ならないと。"カメラ"、つまり"映画"。写実的という言葉があるように、人々はカメラのことを現実のありのままを映し出す装置だと考えているようだが、監督はそれこそが最大の誤解で、シャッターをおろす撮影者によって、被写体である現実はいくらでも歪曲されてしまうものであるとして警鐘している。その背景は昨今のネットの状況をみていれば言わずものがなだ。デビュー作であるチェイサーからずっと追ってきているが、この作品でホンジンは新境地に達したと思う。ぶっちゃけポンジュノよりも、核は上だ。とはいえ、國村隼がいなかったら成立しなかった作品でもある。ちなみに彼の苗字の韓国語読みはコクソンである。
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