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哭声 コクソンのメタのレビュー・感想・評価

哭声 コクソン(2016年製作の映画)
3.5

・村
・異人
・信仰

この要素は大好きですね。ありきたりなホラーかと思いきや、ジャンル分け不能なほどカオスな映画になっていきます。予備知識なしで是非見て欲しい。いろんな見所があり、なんとも言い難い雰囲気が出ている。ごちゃごちゃしてて汚い、インパクト強い絵面の連続です。ときおり、白石晃士監督のようなギャグも感じれました。キリスト教に詳しいと、よりわかるのかもしれません。ラストの解釈も見る側次第なんでしょうね。

日本映画の國村隼を見た後の人にすぐ、この映画見せたいですね!





・何を信じさせられているのか

人は、自分の中にあるフレームによってしか世界を認識できない。そして、そのフレームは、自分が信じていることによって造られる。つまりは、自分の経験からだ。そして、当たり前だが人の過去は人の数だけある。

この大前提に立てば、差別・戦争が無くならず、人は分かりあえない、ということも当たり前のように思える。そもそも、見ている世界が一人一人まったく違うのだから。そして、人と人が情報を伝え合うコミュニケーションにおいても、認識のズレという問題は深刻である。

この映画では、村という閉鎖的な空間に、異人(國村隼)が出現する。村の閉鎖性の本質とは、その地理にあるのではなく、人々の行い、つまり慣習にある。そこでは、属している集団の認識フレームの奴隷になっているかもしれないことになかなか気づけない。つまり、自分たちの常識を全く疑おうとしないのだ。しかhし、村の外にも世界は広がっているのだ。だからこそ、その認識・信仰は絶対ではない。その隙間に潜り込もうとしたのが、今作における「悪魔のようなもの」なのかもしれない。

村人は異変を、その異質な存在のせいにしていく。そんな彼らの考え方、振る舞いは、やはり、人がわかりあうということの反対に位置しているように見える。それでは、人類最大の目標である「平和」と両立するはずがない。そんな彼らの行き着く先には、やはり悲劇が待っていた。
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