Inagaquilala

フリー・ファイヤーのInagaquilalaのレビュー・感想・評価

フリー・ファイヤー(2016年製作の映画)
3.3
どうも、この作品の監督、ベン・ウィートリーとはあまり相性がよくないようだ。前作の「ハイ・ライズ」でも次のような感想を記している。「階上にセレブが住んで、階下には一般人。上層階の人たちと下層階の人たちが戦うことになるのだが、いまひとつそのシーンがわかりづらい。最後のシーンも、えっこれで終わりなのという感じは否めない」というものだが、これはそっくりそのまま今回の作品にも当てはまる。

1978年のボストン。ふたつのギャング・グループが銃の取引で古い倉庫に集まるのだが、最初からリクエストした銃と違うと、不穏な雰囲気が漂う。それぞれのグループに前夜飲み屋で諍いをした人間が居て、その喧嘩が尾を引くかたちで銃撃戦が始まる。それはやがて飛び火し、集まった全員を巻き込むかたちの激しいものとなっていくが。

とにかく近頃ではめずらしい90分の作品なのだが、そのほとんどが銃撃のシーンに費やされる。その間、倉庫のなかだけのワンシチュエーションで、とくにストーリー的にひねりがあるわけでもなく、ただただ撃ち合いが続く。都合10人のギャングたちが敵味方に分かれて顔を揃えるのだが(紅一点で「ルーム」のブリー・ラーソンがいる)、やはり誰が敵で誰が味方なのか、わかりにくい。

宣伝では「マーティン・スコセッシ製作総指揮」を大きく謳っているが、ほんとうにいいのスコセッシと言いたくなるくらいにドラマ性は排除されている。2016年トロント国際映画祭ミッドナイト・マッドネス部門で最高賞にあたる観客賞(2013年に園子温監督の「地獄でなぜ悪い」が受賞)を受賞したらしいが、とにかくマッドネスでハイテンションな作品だ。

ということで、一部のカルト的ファンには熱い支持を受けそうな作品なのだが、どうも自分にはハマらなかった。延々と続く銃撃のシーンにもこれといった新奇なアイディアは見られなかったし、人間関係がよく呑み込めないうちに、もうドンパチが始まってしまったので、あとはただ景気良く放たれる銃撃戦を見守るしかなかった。

唯一、感心したのは、銃撃戦の幕開けと幕切れに流れるジョン・デンバーの曲。まさか妻を想ってつくられた「緑の風のアニー」が、このクレイジーな銃によるバトルロワイヤルの序曲として流されるとは。ギャングが倉庫に向かう時のクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの「ジャングルを越えて」とともに、数少ない楽しませてもらったシーンだ。

冒頭、「FBIの報告書を読むと、銃で致命傷を負った人間でもすぐには死なない」とテロップが出るが、まさに登場人物たちは1発食らったくらいでは死なず、しぶとく銃撃戦を繰り広げる。監督自身もあっさり死なないものをめざしたと言っているが、果たしてそれが新機軸のギャング映画として成立しているかどうかは、他の人間の判断に任せたい。ともかく自分としては、好みの作品ではなかったとだけ書いておく。
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