しの

ワンダー 君は太陽のしののレビュー・感想・評価

ワンダー 君は太陽(2017年製作の映画)
4.2
障害を抱えた男の子がメインの物語かと思いきや、実際はその真逆。彼だけでなく、その周りにいる人々も「主人公」として扱っている。このアイデアは見事。誰もが闘いの中で自分の物語を生きていることを示すことで、偏見を持たずに他者に歩み寄ることの尊さを実感させる。

まず、主人公の男の子をメインにしないという思い切った構成がうまく効いている。確かに彼のような子が生きてゆくには、互いにより一層の勇気が必要だろう。しかし、その勇気は障害の有無に関わらず、誰もが必要としているもののはずだ。この実感こそが、相互理解への第一歩となる。

群像劇的な視点の入れ替えや切り替えは、「この人は本当はこういう人だった」という気付きを観客に与える面白さがありつつ、それ自体が「その人を『よく見る』ことで真の理解に繋がる」という、本作のテーマの体験にもなっている。個人的にはもっと視点を増やして良かったと思う。

五年生の一年間の物語であるというのも効いている。一年間を物語として描くというのはよくあるが、本作は年間を通じた学校内外のイベントをドラマにうまく利用して、しっかり観客に「一年経った」と思わせてくれる。最後には、彼らが確かに時間を経て変化したことが実感できる。

基本的に事態は好転していくので、やや夢物語にも思えるが、群像劇的な作りがその匂いを抑えてくれている。惜しいのは、ジュリアンを活かしきれていない点。彼とその周りとの間で発生する「歩み寄り」を(たとえそれが叶わなくても)描いてくれれば、より実感のわく物語になったかも。

ここまでで「実感」というワードが何回も登場していることからわかるように、本作は、「なぜ歩み寄りが必要なのか」「そのためにどうすれば良いのか」という、題目としてはありふれた内容を、他人ごとではなく、自分ごととして観客に考えさせ、実感させる工夫が多くなされている。私は創作物において最も重要なのは、確固たる「実感」とともに何かを持ち帰らせてくれることだと考えているので、本作はその観点から見ると非常に意義ある作品だと思った。

(2018.6.19追記)
「見た目は変えられないが、見る目は変えられる」という言葉が示すように、本人より周りの人々がどうすべきかという視点が確かに多いのだが、それでいいと思う。変にそこを均すのは悪平等だ。というか、オギーの努力が見えてこないという人もいるけど、そもそも学校に通い続けるということ自体、なかなかできない勇気ある行動だと思う。

「障害があるから〜」みたいな文脈ではなくて、あくまで人と人がその人自身を見つめることによって歩み寄り、理解しあうという話になっている。その過程における苦労の度合いは人によって様々だけど、みんな「人と違う」という点では一緒なのだ。主人公とそれ以外で分けることにあまり意味はないだろう。

周りの人の視点が多いのは事実だけど、本作は「主人公vsそれ以外」みたいな考え方はしていないから、あくまで色んな人に目を向けたらこのバランスになったというだけな気がする。そういう意味で、「周囲がどうするか」の視点が多くなるのは当然で、そこに深い意味はないと思う。逆にいえば、だからこそ本作は「自分にも歩み寄ること/歩み寄られることが確かに必要だ」と思えるような構造になっているのではないか。

(2018.6.27追記)
作品自体がもつ理想論的な(?)空気に窮屈さを感じる人もいるんだろうなとは思った。こればっかりは価値観の問題になってしまうからどっちが正解とはいえないけど。結局周りからのジャッジではあるし。

ただ、センシティブな問題を考える際に、そういう「結局周りからのジャッジになってしまう」みたいな諦め・思考停止に陥ってしまう危険を、多視点の物語にしたり、「愛」「親切心」という普遍的な話に持っていくことで乗り越えさせようとする作品でもあって、自分にとってはそれが本作の価値だった。
しの

しの