umisodachi

ワンダー 君は太陽のumisodachiのレビュー・感想・評価

ワンダー 君は太陽(2017年製作の映画)
4.0
『わが町』を思い出して泣きに泣いた……。

遺伝子の疾患により、他の子とは違う顔を持つオギーは自宅学習を続けていた。10歳になったオギーは、5年生の初日から学校に通うことになる。周りの子どもたちは、遠巻きにオギーを眺めるだけで近寄ってはこないし、いじめっ子は容赦なくからかってくる。心が挫けそうになりながらも、パワフルに生きるオギーと、彼の周辺の人々を描く。

嘘ではなく、登校初日のシーンから最後までずっと泣いていた。なぜかというと、「なんでもない日々を過ごせることの素晴らしさ」や「普通の人々の心の美しさ」といったテーマにめっぽう弱いから。そして、なぜそういったテーマに弱いのかというと、小さい頃にリンドグレーンの児童文学『やかまし村』シリーズを繰り返し読んでいたことに加えて、数年前にソーントン・ワイルダーの戯曲『わが町』の舞台を観たから。

教育熱心でオギーにすべてを捧げるかっこいい母親にも、オギーの男の子の部分に100%同調して寄り添って上げる父親にも、オギー中心に回る家族の中で寂しさを感じつつもオギーに愛情を注ぐ姉にも、オギーに惹かれていく友人たちにも、やたらと人間ができている校長先生にも胸打たれて、泣いた。

出来すぎじゃないかとか、オギーが人並外れて賢い子だから成立するストーリーじゃないかとか、そういうことを思わなかったわけではない。いや、ハッキリいって思う。かなり思う。オギーが極めて能力の高い少年だという設定や、ラストの展開なんかは、良くも悪くもアメリカ的だなと思う。でも、それを差し引いてもあまりある感動が私を包み込んだ。

さらに、この作品には出てくるわけですよ。先述した戯曲『わが町』が!なんでもない町の、なんでもない人々の、なんでもない日常が、いかに素晴らしくかけがえのないものかを描いた『わが町』。2011年に『わが町』を観劇した際も、私は同行者が引くくらいずっと泣いていたのだが、そのときの感情が蘇ってきて涙が溢れてきて溢れてきて……。(ちなみに、今回の同行者は「なんでこのシーンでそんなに泣くんだ?」と思ったらしい)

きっと、アメリカの学校では『わが町』を学校の題材としてよく扱うのではないかしら。日本の高校で漱石の『こころ』がよく読まれるのと同じ感じで。だから、きっとアメリカの観客の多くは『わが町』がどういう内容なのかを知っているんじゃないかなと。いや、完全に想像ですけどね?

『ワンダー 君は太陽』では色々なことが起こる。みんなが何かを諦めたり、何かに傷ついたり、思い悩んだり。でも、誰もが誰かのことを想っている優しい世界がそこにある。そして、それこそが私たちが生きているこの世界の素晴らしさそのものだ。そこで最後に、『わが町』の有名なセリフをひとつ。"My,wasn't life awful-and wonderful."(人生はひどいものね。でも、素晴らしかった)明日はきっと目が腫れちゃうだろうな。

umisodachi

umisodachi