耶馬英彦

ワンダー 君は太陽の耶馬英彦のレビュー・感想・評価

ワンダー 君は太陽(2017年製作の映画)
4.0
 ジュリア・ロバーツは大きな口でよく笑う演技が印象的で、トム・ハンクスと共演した「しあわせの教室」ではまさしくその魅力が全開だった。一方、ジョージ・クルーニーと共演の「マネー・モンスター」では冷静で頭脳明晰なテレビディレクターを好演し、芸達者なところも見せていた。「プリティ・ウーマン」から随分と時が過ぎたものである。
 本作品ではおおらかで優しくて毅然とした母親の役だ。理想的な母親だが、映画ではあまり登場しないタイプである。というのも、表現者というのは多かれ少なかれひねくれているから、こういう母親は理想的過ぎて表現するのが躊躇われるものである。どこか気恥ずかしいのだ。それを真正面から堂々と登場させたところにこの映画の価値がある。
 母親が優れた人格者なら子供たちもまた正直で優しい。そういう子供たちが困難に対峙して健気に乗り越えようとするものだから、これはもう最初から泣けてくる。汚れつちまつた悲しみに打ちひしがれる大人にも、汚れていない時があったことを思い出させてくれるのだ。

 さて、人間は見た目を気にする動物である。他の生物にも見た目を気にする種があるかもしれない。色とりどりの花や派手な色の鳥や魚や昆虫などを見ると、見た目を気にしているのかなと思うときがある。しかし人間が他の生物と違うことが二つある。ひとつは、人間は個体の見た目を気にするということである。霊長目ヒト科ヒト属ヒトのオスまたはメスという種としての見た目ではないのだ。もうひとつは、見た目の価値基準が文化や時代によって異なることである。
 人間は承認欲求の生き物だから、自分の見た目を何よりも気にする。見た目の評価が高ければそれだけで自信を持つし、低ければコンプレックスとなる。ダイエット、整形、カツラなど、人間の見た目に対する意識を相手の商売は巷に溢れかえっている。もっと広げればファッション、化粧品、ネイル、時計、バッグなど、生活のあらゆるものが見た目を気にする人間の弱点につけこんだ商売になっている。

 釈迦もキリストも見た目を気にすることからの脱却を説いたが、人間はいまだに見た目に捉われている。人からよく見られたいという積極的な気持ちだけではなく、人から笑われたくないという消極的な理由も含まれている。人間が見た目を気にすることから脱却することは将来にわたってないだろう。個体差を個性としてみることができればいいのだが、どうしても優劣で見てしまうのだ。企業の人事担当者も、他の条件が同じなら見た目がいい人を選ぶと言っていた。見た目が商売になる以上、人が見た目を気にしなくなる日は絶対にやって来ない。

 オギーはそういった人類普遍の差別と闘うことを、生まれつき余儀なくされている悲惨な子供である。その胸の内がどれだけ苦しいか、考えただけでこちらの胸が張り裂けそうになる。差別する人間は小物だから、こちらが大きな人間になればいいと、母親は正論を言うが、正論は気持ちの整理をつけてはくれない。見た目を気にする世の中が変わらない以上、自分自身が変わるしか、不幸を脱する道はない。家族や学校での人との触れ合いの中で、オギーは人のことを気にしない強さや人を許す優しさを身につけていく。この子役の演技がとにかく素晴らしい。この映画を見れば、自分の見た目を克服できるような気がしてくる。とても勇気づけられる傑作である。
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