るるびっち

ワンダー 君は太陽のるるびっちのレビュー・感想・評価

ワンダー 君は太陽(2017年製作の映画)
4.1
変化したのは少年よりも周囲の人達だ。
主人公のオギー少年も成長していくが、周囲の人々が変わっていく。
個性的な顔のオギーにはイジメ問題が降りかかる。
しかし他の人たちもそれぞれ問題を抱えている。彼だけが特別ではない。
この手の映画を観る時はそれを忘れがちだ。
障害を抱えた人を扱うとその姿に感動を覚えるが、一方で彼らを特別視している。
生きることにおいて程度の差はあれ、問題を抱えない人はいない。
それを忘れず、周囲の影響を描いているのが他作品との違い。
主人公は太陽で、周りの惑星(人々)に光を投げかける。
人によってその影の形(影響)は違う。そこを描いているのが面白い。

子育ては予期せぬことの連続だ。そもそも生きること自体がそうだろう。
子供達にとって、オギーの顔は既成概念を覆すもの。
予定調和ではない現実を、どう受け止めていいか。
彼の存在そのものが子供達に不安を呼び起こすのだろう。
現実が計算通りに行かないという不安だ。
特にいじめっ子がオギーを排除しようとする。いじめっ子はクラスを牛耳っているから、いわば管理側なのだ。管理職が不安要素を取り除こうとするのは、大人の社会と同じ。いじめっ子というのは、子供の癖に柔軟性がなく最もオヤジ化が進んでいる存在と言えよう。

人は皆、自分の持っているものには気付かないで他人の魅力を羨む。
オギーは顔に意識が行き、家族が豊かであり、自分の科学知識が優れていることに価値を見出していない。
オギーの姉は、母親の愛情が弟に集中することが辛い。弟を妬ましく思う。けれど、彼女の魅力を見出すボーイフレンドによって救われる。
姉の友人ミランダは、自分の美貌にはあまり価値を置かず、愛情に飢えている。愛情深いオギー一家を羨む。窓の外から眺めれば他人の芝生は青々している。中では喧嘩や悲しみも多いのだが、そこまで想像できない。

自分のことを見詰めた時に人は孤独になる。
足りないモノにばかり目が行く。
ミランダのように、他人の家族から不具の弟を奪って別人になろうとしても空しいだけ。むしろ友人に主役の座を譲ることで、彼女は豊かになれた。
見栄からいじめっ子に同調してしまったオギーの親友・ジャックは、そのことでオギーを失いかける。自分を守ると何かを失う。
ジャックはオギーの為に喧嘩して、彼の心を取り戻す。

ライオンのような爪も牙も持たない人間は、集団でいることで生き残った。
だから自分のことだけ考えると孤独になる。
結局、自己存在とは他人の中で必要な存在として生きられるか否か、ということでしかないのかも・・・
誰かの太陽になることが、その人の惑星に影響を与える。
そんな生き方を考える映画。
あなたは誰かの太陽ですか? それともブラックホール??
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