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ワンダー 君は太陽のkirakirahikaruのレビュー・感想・評価

ワンダー 君は太陽(2017年製作の映画)
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感動しかない。

オギーは地球に任務を遂行しに来たんだね。勇気や愛を使えば、互いを認め合い、偏見や差別をなくしてみんな仲良く共存できるんだよ、って教えてくれるために。
そのために、みんなが協力しあって少しずつ愛が広がっていく。そう、誰ひとり欠けてはいけない存在で、主役で、表彰されるべき人たちなんだと思う。
いじめっ子だって、いてくれたからわかることがあるんだよね。いじめていいわけはもちろんないけれど、あの子だってある意味被害者で、擁護されるべき立場にいるんだと思う。

本来、親とか周りの大人たちが、愛ある行動ができていれば、子どもはその姿を見て自然とそれができるはず。だけど、これまでの、経済至上主義というのかな、お金を稼ぐことやそのために行きたくもない飲み会で愛想笑いするようなことで忙しいと言って、大切な自分の命の時間を使ってきた。また、人のためになることがいいことなんだと、(それはその通りなんだけど)、ありのままの自分を殺してまで人のために尽くすことがいいことかのように思い込まされてきたように思う。そして、"大多数が普通で、普通以外はおかしい"という悪い宗教みたいなこの社会の幻想。そういうものに、本来の愛ある自分を、ダークな色に、染めたくないけど染めなくちゃ生きていけない世界にしてしまったのだと思う。誰が悪いわけでもなくて、いじめっ子の親も、多分その親や社会に染められて、またその子どももそうなるという大きな流れができてしまったのだろう。
誰かが、この流れを変えなきゃいけなくて、きっとそれは、なんかおかしいと思いながら生きてるその人。そう感じて、少数派からはじまるこの世界の優しい繋がりもたくさん広がって、もうどっちが多数か少数かもわからないくらい。
結局、自分の本当の心が、優しくあれる方、があってるんだと思う。単純に、自分だって楽だよね。

子どもや若者は、巧妙な、人に気づかれないような、本当の優しさを使ってくれている人すごくいるよなーと思う。さりげなく遠回りしてくれたり、席を立って、一見譲ってるとわからないような優しさ。そういうことを、本当はいい大人ができていたはずなのに、というか、みんなができたはずなのに、現実はこうなっている。
それができない人を責めているわけでもなく、できなくなってしまっただけなのだから、普通以外おかしい教を脱退してありのまま生きればいいだけ、というか。自分が満たされれば、自然と人にも優しくできる。
みんな、多かれ少なかれ、どこかは普通じゃない。世界77億人の個性というだけのことであり、責めればどんどん卑屈になってくだけじゃないのかな。そうなってしまった理由がある。黒と白の、その中間の多数のグレーがいる中で、ありのまま、だけじゃ生きていくのは、今は簡単じゃない。だけど、"だから染まって生きていく"のはもういやだな、と思う。きっと、オギーみたいな生き方が必要なんだよね。
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