ダイセロス森本

喜望峰の風に乗せてのダイセロス森本のレビュー・感想・評価

喜望峰の風に乗せて(2018年製作の映画)
4.1
「博士と彼女のセオリー」監督、「英国王のスピーチ」主演、忘れてはならないのが「博士と彼女のセオリー」音楽担当、亡くなったばかりのヨハン・ヨハンソン。

音楽が命。素晴らしい。ピアノで奏でる単純な音階が彼の手にかかるとどんどん広がっていく。これこそ音楽のマジック。映画が広がっていく。

なんかよくわからない邦題がついてしまって非常に残念。できればそのままがよかった…と思う。
どういう意図でこのタイトルがついたのか、まるで想像できない。

さて、話の内容へ

地球一周のボートレースの話を聞いた男は、愛する妻と子供たちを家に残してでもこのレースに出場することを決める。
ボートを作り、広告を出し、資金を得て、出発する。

前日まで、妻は「本当に行きたいのか」と問うていた。それは彼への問いでもあり、彼女自身への問いでもあった。
当日、彼は出発する。「Goodbye!」と家族へ残し。

日記をつけ、何もない海を渡る男の映画。海で起こる事故や彼の心境の変化を静かに描く一方、陸地では彼の居場所を地図にマークし、今何番目を走っているか見ながら、笑ったり焦ったりする関係者たちがいる。電話をつなぎ、彼の状況を確かめながら家族は生活を続ける。
とても面白いと思った。なんども行き来する映像。舞台が遠すぎるからシーン切り替えは本当に重要であるし、これを乗り越えるのは至難の業。どちらのサイドも無駄にしてはならないし、見えなくしてもいけない。なにより、道中(海中?)の彼の変わりよう、船のアクシデントや嵐も描かなくてはならないのだ。この描き方が少し物足りなかった気がした。難しい。本当に難しい。だけれど、7か月もひとりで船にいる彼の描き方は、もう少し深くできた気がする。幻聴が出始め、電波が途切れる電話に苦しみ、幻覚まで見るようになった男。その果て。もっともっともっと、そこだけにフォーカスして、彼の人生を描いてほしかった。彼を待ち続けた家族たちを描くのも、もちろん大切ではあるが・・・彼の重みがあまり伝わらなかった。パッパッと切り替わる陸と海に、少し船酔い。

美しい物語であるのは間違いない。家族の愛と、見えないつらさ、なぜこれに挑戦したのか、3冊の日記をすべて読みたい気持ちになる。
もっともっともっと、深く描けたはずなのだ。

はじめてローカルの映画館に行った。
そこで出会った夫婦に、「なぜこの映画を見に来たのか?」と問われた。こんな質問は初めてで、聞き返してしまったくらいだ。「海と関係があるのかい?」と。彼らはこの事実を知っていたそうで、結末も知りながら、映画を見に来た。私はとっさに、「コリン・ファースが好きで」と答えた。「彼は出演する映画のチョイスが素晴らしい。良い俳優だと思う」と紳士が答え、もう少し、深い話がしたいと思った。
シネコンでは誰も口をきかないのに、このリミテッドシリーズ、一夜限りの上映では、こんなに人が語り合っていた。本編の後、特典映像が放映され、出演者と監督の語り合いを見た。この後、ロビーで目を輝かせながら語り合う夫婦の姿を見て、映画の力を再確認した。
家から歩いて3分もしないところにあるこのシネマで、また素敵な人に出会えたらと思いながら、この感想を終えることにする。