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ハイドリヒを撃て!「ナチの野獣」暗殺作戦のmayaのレビュー・感想・評価

3.0
邦題考えろよ、と思うのは、本作の主題が「暗殺」ではなく、「暗殺後」だから。
「世界悪・ナチの野獣ハイドリヒ」を殺すまではアメコミヒーローものと同じだが、本作があくまでノンフィクションなのは、その後の顛末を残酷にも丁寧にえがいているからで、そこがこの作品のキモだと思う。
結局この暗殺が良かったのか悪かったのか。暗殺ミッション系にはつきまとう疑問だけど、一人の人間を殺して果たしてなにか変わったのか、代償ウン千人のチェコ人の方々の命は果たしてそれに見合ったのか。自決する準備があった人はいいが、拷問死した彼は?
物事は現実では決して単純な勧善懲悪にはならない。一つ弾を打ち込めば、連動してすべてが動き、その方向は2つではない。秤にかけられないものを、それでもやはり測らずにはいられず、やりきれなさを覚える。

追記:戦争映画というジャンルがどうも苦手であまり作品を見ていないうちに本作を観たのだが、あれからちゃんと戦争映画を見るようになって、「英雄譚」ぽいプロットが意外にも多いことに驚いた。そういうものを見るたびに、本作を思い出す。英雄が敵に一矢報いて感動的なedを観るたび、疑問をいだく。この映画は、戦争映画を見る上でのリテラシーになる。
どんなにナチの惨さを描こうと、最後に「犠牲になった皆さんへ」と入れようと、あの戦争が悲惨で、ナチが酷い事をして負けたことなんて当たり前で、大事なのは「そこから現時点に向けたなんらかのメッセージがある事」だ。ナチがひどい事をした、と描かれるのは、「ドイツが歴史を反省し、立ち直った成果」だ。ナチの酷さを扱った作品を見るとき、私たちが念頭に置かなくてはいけないのは、「団体時代関係なく、その本質が何で、結果はどうなるのか」という視点だと思う。戦争を扱う以上、どの立場だろうと、陰惨で、残酷で、無意味で、理不尽な結果しかもたらされない。本作を見ていれば、その前提に立って他作品を観ることができる。後からじわじわと大事な映画になりました。
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