海

永遠と一日の海のレビュー・感想・評価

永遠と一日(1998年製作の映画)
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わたしを見つめるときのあなたの目や、わたしに触れるときのあなたの指や、わたしを遠くから呼ぶときのあなたのこえが、わたしの知るやさしさのすべてで、だからおもう、やさしさというのは、やまない雨や、あけない夜や、祈りのさきにいる神さまのようなものだ。ここに居るのにここに居ないみたいだと一度言われたときから、その言葉はわたしに付きまとい、きっと永遠に消えることはない。わたしは詩人だから、目を閉じているときも歩いているときも音や光や風に乗ってきた意味が視界をさえぎるから、生まれたら死ぬまで、わたしはほかの何かにはなれない。3年前、ひどく傷ついていたとき、わたしに言葉を運んでくる風は一度やんだ。それでも海から波は消えなかった。あのときも、わたしは、言葉を買う詩人を見た。捨てられた花のいのちを拾う人を見た、黙って犬を引き取る人を見た、共にバスに乗った二人が別れる瞬間を見た、悲しみにゆがむかおを見た、答えのかわりに笑うかおを見た、子どもが死ぬのを見た、死を待つ大人を見た、人生の果てにまっすぐ立とうとするあなたの、くずれて流れだす砂海のような記憶の奥と、使い古され褪せた手を見た。生きることがどんなことなのかを、おとずれる拍子のまま語られていく言葉の中で思い出す。それはすべて捨てて何もかも忘れて次の世界へ行きたいと思うこと、それは永遠にたったひとりのあなたと共にこのからだで生きていきたいと思うこと、眠りから覚めるたびにその気持ちが来てはゆくこと。今日わたしは悲しみで胸が潰れそうになる。明日わたしは嬉しくてあなたの頬にキスをしたいとおもうだろう。今日わたしは怒りでだれかを傷つけたくなる。明日わたしはおだやかな微睡の中で潮騒と白砂に出会うだろう。感じている、帆翔する鳶のようにわたしたちが呪うことと祝福することを際限なくくぐり抜けていくこと。世界が醜くてわたしが愚かなことはずっとずっと前からわかっていた、でも世界をうつくしいと信じようとする心がわたしにいつまでも生きてほしいと語りかける。この目で見てこの手で触れてこの胸に抱いたことのあるなにかを一つずつ思い出して一つでも多くを元通りに戻そうとする。明日は今日よりとおくにいるからいつかは大丈夫になるからと言ったその言葉が、ただ嘘じゃなくなるまでのあいだちゃんと生きていたいだけなのかもしれない。ねこの絵を描くとき、そばにいなくても毛並みのながれを描ける。毎日撫でているのとおなじように、潰れた鉛筆の先がわたしの指のかわりに紙のうえを撫でていく。あなたはわたしに言った、ここにいるのにここにいないみたいだと。だからなりたいとおもった、ここにいなくてもどこにでもいられるわたしに。この心は終わりなき詩、風がやんでも海には波がある、むかえを待っているあなたに手をひかれてわたしはゆく。大事なことのすべてを教わった。明け渡された日から手放しはしないと決めた部屋がこのいのちだ、冬の朝の陽がここを雪原のように白く染める、はやすぎる日没が寝室のように静かな闇でいろ褪せた壁紙を抱きにくる、風が子のように泣いたり笑ったりする、かぜが猫の毛のようにやわらかくねむるひとのかたちを撫ぜる、やさしいやさしさで苦痛をおわらせる、姿のみえないものたちがこの部屋をとおりぬけて次の場所へむかうの。わたしが愛してきたもののすべてを永遠に信じる。ひとりで冷たく泣きながら死んでいくことさえ、今わたしは怖くないとおもえる。
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