ryosuke

バック・トゥ・ザ・フューチャーPART3のryosukeのレビュー・感想・評価

4.3
世評では1>2>3の順に人気らしい本シリーズについて、パート1が圧倒的なのは同意するところだが、パート2よりも3の方が序盤から理想的なテンポが維持されるし、説明的なシーン、台詞も少ないので個人的には1>3>2という印象。
わざわざ過去に行って改変しなくても、ドクが何十年か後まで展開を覚えておいてデロリアンが雷に打たれないように注意すれば良いのではとか思ったが、まああまり考えないようにしよう。西部劇の書き割りをデロリアンが突破すると、すぐさま本物のインディアンが登場。良い掴み。
1985年から来たマーティが「日本製品は最高だよ」と述べると、1955年のドクがまさかみたいな切り返しをするシーンがあるが、いつか未来に見返される時に更に意味がひっくり返ってしまったら面白いな。面白がってる場合じゃないが。
1、2、3と見てきてお馴染みとなった作品のディテールが繰り返され、記憶に残ることで作品に愛着が湧いていく。マーティが目覚めるシーンの、ママ?夢を見ていたよ→やはりタイムワープしていてびっくりの流れ。タネンの語彙選択のミス。1955年ではカルバン・クラインにされてしまったマーティは本作ではイーストウッドを名乗る。アホな名前と言われてしまうが、イーストウッドを名乗るだけあって射撃は得意なようだ。犬はアインシュタインの代わりにコペルニクス。1955年にドクの自宅で目覚めるシーンの部屋をうろつく長回しや、1885年の朝食を作るピタゴラスイッチも、1のファーストカットを思い出させる。マーティが「腰抜け」に怒るのもお馴染みだが、ワードが“chicken”から“coward”や“yellow”になっていた気がする。これは時代的なものだろうか?
ヒルバレーの看板を舐めながらクレーンが上昇していき、音楽と共に西部の光景をロングショットで映し出す描写はレオーネの「ウエスタン」を思い出す。まあセットは若干安っぽいかな?という気はするけど、本作は高級感を出す必要もないか。鏡に向かって銃をガチャっとして“You Talkin' To Me? ”は「タクシードライバー」だし、映画愛に満ちた作品であり、「月世界旅行」というワードも直接的には原作小説への言及だが、本作の遠いご先祖様とも言える、ジョルジュ・メリエスの最初のSF映画のタイトルでもあろう。
クララの馬車のシーンは、結局ファム・ファタールからは逃れられない歴史の引力を示しているようで良いシーンだが、落ちていく馬車は計画が失敗した時のデロリアンがどうなるかも同時に暗示しているように思える。この辺は上手いなあ。
写真からドクの名が消え、「いや、でもこれはもしや...」と観客が思うと即座に男がマーティの棺桶用の寸法を測りにくる。
ドラえもんでも何でもそうだが、タイムトラベルが登場する作品に共通する倫理「未来を好き勝手に変えてはいけない」という原則は、本シリーズを通じてドクが何度も繰り返し述べていたが、3ではついに自身の問題としてこの原則が立ちはだかる。浮世離れした彼の珍しい恋慕との葛藤として現れるのが切ないのだが、彼はひとまず「心」ではなく科学者としての「頭」に従うことを決意する。
そうであるならばマーティにも感情を抑えることが求められるであろうところ、彼も見事に「腰抜け」にグッと耐えてみせる。
1の「防弾チョッキ」も再登場し、ぶん殴られたタネンが墓石を真っ二つにする。マーティが死の運命を逃れたことを視覚的に一発で示す巧さ。タネンの行き先は勿論肥やし。
マーティとシェイマスの、決闘前、バーでの肩越しの切り返しや、去って行く馬上のマーティとのカットバックは、1、2の演奏シーンでの父との切り返しを思い起こさせ、歴史を超えて親族の感じる何かが表現されている。クララの恋愛感情が、図らずとも汽車を止めてマーティを間に合わせるのも歴史の不思議な力を感じる。
1、2ではスケボーを車に引っ張らせて動力としていたマーティは、本作ではデロリアンを汽車に押させる。サスペンス演出において重要な時間制限については、薪に色を付けちゃって視覚的に分かりやすくしてやれというのは映画的な考え方だな。結局持っててよかったホバーボードということになってくる。2のサスペンス演出の小粒さに比べると、本作の汽車のシーンは大迫力のサスペンス描写で満足。
渓谷の名前は更に変化してイーストウッド峡谷に。デロリアンが即座に解体される様は歴史の修正力というか計り知れなさを感じさせるが...。ナンバープレートがクルクルと回転するのも1、2でデロリアンが消えた後と一緒だな。
唯一不穏な要素となっていた事故の予言は、シリーズ通してのキーワードである「腰抜け」に関わるエピソードにおいてのマーティの成長で回避される。最後まで綺麗に回収してくれるよな。
そして汽車デロリアンの登場!1のラストと同じく、汽車は2020年の未来の劇場の観客へと向かってくる。散々魅力的な未来イメージを見せてくれたはずの本作のラストメッセージは「未来は白紙だ」というんだから...。
終映時と、その後の午前10時の映画祭の復活の発表が二度の拍手で迎えられ、良い劇場の雰囲気だった。ひとまず一年お休みだが、午前10時の映画祭ありがとう。
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