シュトルム凸映画鑑賞記録用改め

聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディアのシュトルム凸映画鑑賞記録用改めのレビュー・感想・評価

3.9
ホラー版「ソフィーの選択」といった風情も漂う怪作。私は大きな衝撃を受けた。実に不穏な作品である。コリン・ファレルの心臓外科医が、バリー・コーガン演じる若者から、かかる選択を迫られる。それは理不尽であっても、理由のあることで、しかし、なぜバリー・コーガンにそのような選択を強いる能力があるのかは、明かされない。ホラーなので…。
最初コリン・ファレルとバリー・コーガンの関係は少年に手を出す児童虐待的な男色関係かとミスリードされるが、実はそうではなく、その後の過程で真実と、夫と妻が共に医師で、裕福で成功した円満家庭の虚飾が暴かれていく。
子供が倒れてるのにマッシュポテトが食べたいというコリン・ファレルも、自分より子を選べというニコール・キッドマンの妻も人として破綻している。
作中でも言及される元ネタの、「アウリスのイピゲネイア」では、女神への供物に選ばれた娘イピゲネイアは、誇り高く自己犠牲を受容するが、この作品の娘は、口先で自己犠牲を強調することで、父の情をほだし、生き残ろうとする浅ましさを持っている。誇り高い人間の生き様さえ、この作品では換骨奪胎され人間の嫌らしさの発現形式の一つ、偽善として解釈されている。なんという皮肉。なんという人間不信。
弟も然り、状況に置かれて初めて父のいうことを聞いて、将来の夢は父親と同じ職業に就くとこだ、と媚びを売る。この子供たちや妻…あらゆる人間の浅ましさ、生き汚さを描くことがこの作品の主眼の一つだったのだろうか?
そしてラストシーン。欠けたピースの不在とその原因となる存在の邂逅にも、怒りは発揮されない。あるべきところに収まったかのように、平穏さを取り戻して、偽りの家族は続くのである。