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聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディアのアガサのレビュー・感想・評価

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タイトルは「神様の鹿を射ってしまった男が許しを乞うため自分の娘を生贄に差し出す」というギリシャ神話から。

人の命(心臓)を預かる医者が怠慢からミスを犯し患者を死なせてしまう。
誰にも気づかれなかったから法には問われていない。
何事もなく過ごしていたが、ある日遺族の少年が目の前に現れる。
すべてを見透かすような少年の目。
訴えられないため、自分の中の罪悪感をおさめるためだけに、少年のご機嫌取りを始める医者。

少年が求めていたのは、欠けた穴の埋め合わせ。
父親を亡くしたからその代わりを。
最初はそうだったのかもしれない。
しかし、要求は却下され伸ばした手は拒絶される。
穴が埋められないのなら、相手にも同じ穴を開けるしかない。
少年は医者にシンプルな選択を迫る。
一人殺したのだから一人殺せ。
これ以上公平な正義があるだろうか、そうだろう、先生。

とにかく映像で物を言う作品。
死の宣告を受けたとき、人はどこまで利己的になるのかが醜く物悲しく描かれる。
みなが「支配者」におもねる中、自己犠牲精神をアピールする娘がレポートでAプラスをとったというイピネゲイア。
家族や市民のために命を差し出したとされる悲劇の乙女を、娘がどんなふうに考察したのか想像するとおもしろい。
もしかしたら、娘もイピネゲイアも自分の高潔さを見せつけることで命の評価が変わることを期待していたのではないか。

死に至るシステムが謎なままだし、現実離れしたとんでもないストーリーのようにも思えるけれど、観ているうちに自然と「もしどうしても一人選ぶとしたら誰」「この人のこういうトコ感じ悪いよね」「子と親なら親が命を差し出すべきだろ」などと無責任に登場人物の命の価値をはかろうとしている自分がいてゾッとした。くわばらくわばら。

パゾリーニの『テレオマ』オゾンの『ホームドラマ』に続く、家族の本質むき出しドラマ『聖なる鹿殺し』。
立っているだけで不穏な少年バリー・コーガンの演技を拝むためだけでも観る価値のある傑作だった。
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