背骨

ナラタージュの背骨のレビュー・感想・評価

ナラタージュ(2017年製作の映画)
3.2
泉の愛、損得とか立場とかは関係なく、自分でもその理由なんてわからない「とにかくこの人が好きだ」という想い。そこにもっと没入したかった。…なのにしたくても出来なかった…というのがこの映画への率直な感想。

この映画が目指そうとしていた到達点はなんとなくわかる。わかるんだけど、最終的にそこに辿り着いてはいないように思える。
でもそれはこの映画そのものを自分がキャッチする能力が足りなかったのかもしれない。そこは良くわからないけど…。

なにより自分の中でなんか消化不良な感じがまだ残っているのは確かなので、レビューするにしても単純に面白い、とかつまらないとかの評価にはならないと思います。

良いと感じられた部分とわかりづらかった部分、あまりよろしくないなぁと感じられた部分、3つの面が感じられた。

まずキャスト(特に主要キャスト3名)松本潤、有村架純、坂口健太郎のお芝居はとても良かった。
松本潤からはいい意味でジャニーズオーラが消えていたし、有村架純ちゃんも役そのものになりきっているようだったし、恋する女性としてとても美しかった。そして坂口健太郎はストーカー臭漂う執着男が気持ち悪いほど上手かった。
シナリオと演出もそのお芝居を支えていたと思う。なにか大きな出来事が起きて、それに従って人が動く事で登場人物の考えている事・人となりを表現するのではなく、何気ない日常の動作の中でその事を言い表そうとしていたように思える。その方法は演者に力がないと厳しいけど、今回はすごく良い方向に向かっていた。

わかりづらかった部分は、とにかく松本潤演じる葉山の気持ちが途中まで見えてこなくて、後半見えてきたと思ったら、「え?マジ?そんな事なの?」という全く感情移入出来ない方向へ行ったこと。葉山という人が自分から見て全く魅力的ではなくなってしまった。

そして、なにより理解し得なかった・消化不良の原因となっているのは、行定勲監督がこの映画の中で提示したかった愛の形。
それは理屈として理解したい・出来ない、というよりは感覚的に方向性が見えない。掴みたかったのに掴めなかった、という感じ。
なんとなく綺麗事じゃない愛というものは伝わってきたんだけど、なんか自分にはグッとくるものがなかった。なんとなくわかるけど最後の最後に実感が掴めないというのか…。

そして、この映画をもったいないものにしてしまっているであろう原因が、後半のストーリー展開や語りたかったもののために前半部分でやり残した事があまりにも多いんじゃないか?という事。
これは上記の行定勲監督が提示したかった愛の形がわからなかった。というのに繋がってるんじゃないかとも思うんだけど…。

後半起きるある重要な出来事。柚子ちゃんに起きる事と泉の過去にあったそれと近い出来事。
それは泉と葉山をなぜこんなにも深く結びつけるのかを裏付ける事にもなっていると思うんだけど、その出来事はあまりにも唐突にやってくる。あまりに唐突すぎて全然こちらの受け入れ準備が整わなかった。

その事のために前半部分で丁寧に描く事が出来る余地があったのにもかかわらず(好きな言い方じゃないけど伏線を張るということか)なぜやらなかったんだろうか?
前半は後半に比べてかなり余裕があった。というか語られる内容・情報量が少なかった。ここでやっておくべき事がたくさんあったように思えて仕方がない。後半部分の盛り上がりに関しては良かったと思っているし、前半の内容によってはもっと良いものに見えたと思う。そうくるんだったら前半なんであんなにスカスカにしたんだよ!って思いが強い。

良いとも悪いとも違う、そしてホントに余計なお世話な内容のレビューになってしまいました。でもね、好きか嫌いかで言ったら好きなんですよ、この映画。そしてもっと好きになりたかったんです。
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