きえ

ナラタージュのきえのレビュー・感想・評価

ナラタージュ(2017年製作の映画)
3.7
記憶のナレーションで、
忘れ得ぬ恋のモンタージュを、
美しく切ないナラタージュで綴る…

…なんて言ってみたくなる世界観。

ナラタージュとは…
Narratage=Narration+Montage
ある人物の語りや回想によって過去を再現する手法を表す映画用語で響きがとても恋愛的だなと感じる。

タイトルが映画用語なら、劇中でも"映画"が効果的なタイミングで比喩的に使われている。ここはまた後で書くとして…

この作品で描かれるのはいわゆる純愛とは違う。孤独な女子高生・泉と心に瘡蓋を持つ高校教師・葉山が出会い、正しいとか正しくないとか、いいとか悪いとか、そんなものの枠に収まりきらないどうしようもなさが描かれている。

人を好きになる感情のリアルと言うか、綺麗事を除いた本質と言うか、恋とか愛とか実はとても自分本位なもので、だからこう言うどうしようもない愛の映画を見るとある種ほっとしたりする。本当に人を好きになった時の男女の愛って人間愛とは絶対的に違う幾重にも複雑な感情がある。

葉山に思いを残しながら、曖昧なままの進展しない関係を断つために、思いを寄せてくれる小野君と付き合い始める泉も…

公私共々"社会的立場"を持っているにも関わらず、泉の思いを知りながら距離を取るでもなく、逆に罪な優しさを掛け曖昧な関係を続ける葉山も…

泉に好意を寄せ片思いから両思いに転じた瞬間から所有欲、嫉妬心に支配され、泉を包囲し愛の見返りを求める小野も…

みんな自分本位でどうしようもない部分を持っている。恋とはそのどうしようもない感情で、女性なら泉を通して、男性なら葉山かライバルの小野君を通して、激しく恋した時の喜びと辛さ、自分の中の強さと弱さ、優しさとずるさと言った矛盾する心理を思い出すだろう。

特に弱さ、ずるさで言ったら葉山。自分の抱えてる問題やその事から来る拠り所のなさを、泉の好意に甘え曖昧な関係を維持する事で救いを求めて行く様はまさに。孤独な泉を救ったのは確かに葉山だったけど、結果的にはその葉山が泉に救われていたと言う…

泉は泉で男のずるさを感じつつも曖昧さに翻弄される『何か』を持っていたんだと思う。劇中、泉が好きな映画としてトリュフォーの『隣の女』を持ち出すシーンがある。実は私も好きな映画なのだけど男女のどうしようもない愛の衝撃的な結末が描かれた作品だ。この作品を好きだと言う1シーンを入れる事で泉と言う女の『何か』が分かる。

同じく葉山の家で泉が見つけたビョーク主演の『ダンサー・イン・ザ・ダーク』のDVDが葉山の奥さんの好きな映画として登場する1シーンだけで奥さんがどんな女かイメージ出来てしまう。

更には成瀬巳喜男監督の『浮雲』を見るシーンが登場。これは本作がこの作品のオマージュと言うか、"ダメダメな男と分かりつつも離れられない女"との共依存的愛が共通してる。

更に更に『エル・スール』。回想形式で描かれているのが共通しているところで、この作品の場合は父親だけど、好きだと思っていた人間の過去を知った事で葛藤して行くところも共通してる。そしてこの作品を葉山は好きだと言う。『この監督の静けさに触れた時だけは悩みが遠ざかる』と。この言葉から元々内面に悩みを抱え込みやすい人間なんだろうと推測出来る。置かれた現実、しかも自責の念に囚われた日々、逃げ出したい思いと逃げられない思いとの中で、葉山は無意識に救いとなるべく何かを求めていたんだろうと思う。この男の弱さから来るずるさもリアルな人間像と言うか…

葉山は自分の全てを泉に打ち明け本心か否か禁句とも言える言葉を泉に吐く。弱くて曖昧で挙句酷い事も言っちゃうダメダメな男だ。でもそこで泉の取った行動は観客の意見が分かれるだろう。私は泉の気持ちは分からなくはない。結局のところ煮え切らない男に気持ちを翻弄されただけであって相互恋愛とは呼べない類のものだけど、その時は断ち切れない…結局泉も弱い人間なんだと思う。弱い者同士の共依存。それでも『最後に…』と口にする泉に生々しい女としてのどうしようもなさを感じ、まさに『最後の記念に…』的行為ではあるけど、、うーんその時凄く好きだったらそうしちゃうかもと思ってしまう泉と同類の『隣の女』好きな私。

現在となっては『愛じゃなかったし一方的なもの』と言う泉だけど、止まったままの懐中時計を捨てられないまま持ち続ける女心。もう少し時間はかかるだろうけど、動き出すのが時間でもある。

そして『映画』以外にもう一つ触れたい大きなポイントとなるものが『靴』。靴は恋愛のメタファーとして度々足元が映し出される。気に入って買った靴なのに靴擦れを起こす。それでも好きだから絆創膏を貼ってでも履く。暫く履くと足に合ってくる。だけど中には何度履いても痛くて馴染まない靴がある。いつしか履かなくなる。やがて新しい靴を買う…

靴職人を目指していると夢を語った小野君が泉にプレゼントしたのは自分の好みで作った泉に履いて欲しい靴だ。それだけで小野君が何を泉に求めどんな人間なのかが分かる。その小野君を演じた坂口健太郎さんが人を好きになって負の感情に支配されて行く男を見事に演じてた。人を好きになるのはある種狂気でもあるのだ。

原作を読んでから映画化まで12年掛かったと仰る行定監督。キャストでイメージ出来る人がいなかったのが第1の要因との事。そしてやっと松本潤さんと有村架純さんにイメージを得て完成。松本さんに至っては嵐で見せるイメージとは真逆なちょいダサでどっか影のある教師を演じていて最初ははっきり言って主役に魅力がなさすぎると戸惑ったけどあくまで役柄のせいだった。

有村架純さんに関しては今や飛ぶ鳥を落とす勢い。旬な女優さんはどんどん綺麗になる。今回の大人しい中にも女としての情愛に突き動かされる役所はぴったりだった。真っ直ぐ見つめる瞳に小悪魔的な色気を感じる。また1つ女優としての階段を軽々上って行った感じ。

行定監督は『恋愛映画の地位は低い。評価され辛い。だからこそ今恋愛映画を作りたかった』と言う。『綺麗事で満ちた純愛ものではなくどうしようもない愛を描きたかった』と。

見終わって思うのは、激しい恋の感情が描かれているのは間違いないけど、映画ポスターにある『一生に一度の恋』や公式サイトに書いてある『一生に一度しか巡り会えない究極の恋』とまで言ってしまうのは美化しすぎてる。そんな事はないしそこまでではない。一方で、泉視点のキャッチコピー『壊れるくらいあなたが好きでした』は、凄く人を好きになった時の激しい感情を表現する一文として共感する。

好きな気持ちを残したまま成就出来ずに終わった恋は美化されていつまでも残る…
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