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ナラタージュのmazdaのレビュー・感想・評価

ナラタージュ(2017年製作の映画)
3.9
予告編がとても良かったのと
『壊れるくらいあなたが好きでした』
っていう予告の言葉に惹かれて観賞。
個人的にはもうちょっと壊れてるところがみたかった、もっと普通じゃいられないくらい乱れているような恋愛劇かと思ってたけど、良くも悪くもたんたんとしっとりと、映画の中で降ってる雨みたいに、しとしとしていた。私は個人的に豪雨とか猛暑の中での滝汗みたいな、ねっとりじっとりずっしりみたいなそういう見せ方が好きだから全体的に薄味に感じてしまった。

よく恋愛の例えで、女性は上書き保存、男性は名前を付けて保存というけれど、上書き保存も名前をつけて保存もできないそもそも保存をクリックできずに画面がかたまっちゃったような彼女は高校時代の恩師を忘れられないまま卒業する。そんな先生の方は思いっきり名前をつけて保存するタイプ。雰囲気が全てごまかしてくれていたけど正直めちゃめちゃずるい人だと思う。
客観的に見れば彼等の想いや関係は重く捉えられがちかもしれないけど、その人に出逢っていなければ今の自分がなかったというほどの存在の人への想いというのは、この先どんな人に出逢おうとも、別の誰かで上書きしてその人を完全に消去するってことはまずできないと思う。

恋人じゃなくても、なにか愛してたり強く想っていたっていうきもちや感覚は、言葉にした瞬間に少なからずその密度は薄くなると思って、人には伝わりにくくわかられにくいもの。どんなに「わかるよその気持ち」と言われても100%理解できるのは、その瞬間の空間を共有した人だけだと思うし、第三者からみてそれがなんなんだよ、その辺のものと同じだろうと思えることも、当人達にとってはもう二度とこんなことないだろうというくらい特別なものだったりするわけで、だからなおさら外野の誰かが何か言ったところでどうにかできるような事柄ではない。
だから私がもっと壊れてるところが見たかったというのも客観的に映画をみて感じたことであって実際その人の立場にたってみればきっともうボロボロに壊れてたんじゃないかなと思う、ある意味つじつまのあった見せ方なのかもとも思ったけど、"あなたは好きだった人を思い出す"というキャッチコピーにするならもっと入り込まさせるような抜け出せなくなるようなものが見たかったなあと物足りなさがどうしても残った。

とかいろいろいいつつ、しっかりホロリしてしまったし、みんな少なからず人生のうちに1人はこういうきもちになる存在の誰かがいると思うし、誰かの思い出しスイッチになろうとしてる映画。
未練という言葉で表せばそれまでだし、この彼女のきもちを肯定するとどうしても綺麗事を並べてるふうになってしまうけど、未練とはまた少し違うというか、それが終わってからもそこで得たものや感じたことというのは重なって自分の土台の一部になってるものだと思うし、壊れそうなほど愛した人との思い出なんて美化したいに決まってるじゃんと思うし、そうやって泣き崩れて苦しんでおかしくなりそうな感情ってすごく生きてるって感じするし。その人にまつわるものが思い出すスイッチになるなんてもうそれだけ自分にしみついているってことで、そこまで他人が自分をどうかしてしまうことって私は一種の魅力みたいなものを感じる。

うまくいくかどうかや、費やす時間は人それぞれだけど、基本的には男も女もみんな上書き保存だと思ってる。
『その別れは次の出逢いのためにある』という大好きな言葉があってそこを通過したからこその今なんだから、上書きといってしまうと消えてしまうように聞こえるけど、実際積み重なって形として見えなくなっただけで、奥底に必ずあり続ける。
最後止まっていた時計が動き出すおかげでこの映画がただの重い男女にならずにすむ、彼女をみて苦しくなった人は救われるきもちになる。私の好きなその言葉のように終わるのがよかった。

誰だって誰かに救われたいと思ってるし、彼等の関係は決して肯定的なものではなかったかもしれないけど、互いにこの2人は救いあっていたと思うから、私にはとても美しくみえた。
最後彼女が電車の中で号泣するシーンはついさっきの特別な出来事、それが終わった瞬間からすでにそれが思い出になり始めているということを実感した涙かなと思う、誰かを愛してる人というのは見ててものすごく生きてるなあって感じがする。

彼のやんでる奥さんのベストムービーがダンサーインザダークじゃなかったら+0.2点だった。実際憂鬱感はんぱないけど好きな側からすればやんでる人の映画みたいに扱うのはやめてほしいですね、

あとそろそろ坂口健太郎がむくわれる物語がみたい、可哀想なことにこういう役が似合っちゃうからなあ、どうみてもやな役なのに謎の同情心が湧きました。笑
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