yoshi

マンハントのyoshiのネタバレレビュー・内容・結末

マンハント(2018年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

美味しい料理とは、素材の良さを生かし、作る側の愛情と個性的な味付けを施したものである。
愛する人の得意料理を、無碍にマズイ❗️と言えますか?
熟練のシェフが道具すら揃わない環境で、高級食材を使わず、現地で調達した食材で何とかお客様に喜んで頂ける料理を作ったとしましょう。
それはシェフの思い描いた理想とは違うモノであることはまず間違いない。
作り手の苦労を知らず、出てきた料理をマズイ❗️と貴方は言えますか❓

コッテリした(アメリカの)贅沢品ばかりを食べて来た人は、熟練の技が光る老舗の味を、食べたことがないからマズイと言う。
この映画を酷評する人は、そんな人たちな気がします。

実際の日本で撮影され、日本人キャストを多数投入して作られたアクション大作であるこの作品を、日本人が蔑むのが残念です。恥ずかしいとさえ思います。

2003年の「ペイチェック」以来、「アクション映画のマエストロ」の異名を持つジョン・ウー監督が15年ぶりに放ったガンアクション映画。

監督のファンと言うより「信者」に近い私は、ウー監督がアクション映画に帰還するこの15年の間、首を長ーくして待っていました。

予告編やTVスポットから、優男の印象が強い福山雅治のアクション映画主演に、一抹の不安を感じながらも、公開時の2月に雪の中を喜び勇んで劇場に足を運びました。
結果、大興奮❗️大満足だったのです。だが❗️

あぁそれなのに…封切られた後、続々と各種SNS等でアップされている感想レビューを見ると、評価は散々たるものばかり。

私は「ものづくり」の職業なので、映画を見る時も、どうやって撮影したのだろうと作り手の創意工夫を想像します。
酷評する方々は、その苦労を想像しない人ではないでしょうか?

今回は、そんなこの作品を酷評する方々への怒りと反論の私的なレビューです。

あまりに酷評が続くので「自分は間違っていたのか…?」とずっと自己嫌悪を抱いていたのですが、CG多用のヒーロー映画に飽きた私はレンタルDVDを借りて見直しました。

自分の感性に正直に言うと…
「よくぞ撮影規制の厳しい日本で、これだけのアクション映画を作ってくれた❗️」
実に面白い!(福山雅治調で)。
監督と出演者、スタッフ並びに関係者に感謝したい❗️という結論に達したので、レビュー致します。

他のジョン・ウー監督作品を知らない方は、ここから読まなくても結構です。

…というより、せめてジョン・ウー監督の代表作を見てから、同じ土俵に立って欲しい。

私は「男たちの挽歌」でのレビューでも書きましたが、ジョン・ウー監督は、香港および中華圏の映画界に対する歴史的役割を果たした偉人だと断言します。
(詳しくはそちらをご覧下さい。)

「プロが選ぶ面白いアクション映画ランキング」を検索してみて下さい。映画.comの記事が上位に挙がるはずです。

アメリカの情報誌Time Outニューヨーク版が、発表したアクション映画のベスト100。
このランキングは、アクション映画の監督、アクション監修監督、俳優、スタントマン、評論家など…作り手側のプロ50人以上がそれぞれ挙げたベスト10をもとに集計したもの。

そのベスト30には、ジョン・ウー監督の映画が3本も入っています。
4位「ハード・ボイルド 新・男たちの挽歌」(1992)
19位「フェイス/オフ」(1997)
24位「狼 男たちの挽歌・最終章」(1989)
…とジェームズ・キャメロン監督と、かのジャッキー・チェンに並び、3本がランクインしています。

これだけでもウー監督が、いかに作り手に尊敬されている巨匠か、お分かりになるはず。

だいたい皆さん、アクション映画に何を求めてるんですか⁉️
アクション映画は日々の憂さを晴らし、自分にはできないことをやってくれる主人公の活躍を楽しむのが醍醐味です。

派手なアクションに「日本ではあり得ない」とリアリティを求めてるんですか❓
アクション映画にリアリティなど、本来求めてはいけません❗️
スカッとすればいいというのが、アクション映画の基本理念です❗️

全編日本ロケにも関わらず、こんなの日本じゃないという方は、寅さん的な観光地や地味な田舎のあるリアルな日本の描写を求めているのでしょう。

ジョン・ウー監督独特のアクションの「様式美」へのこだわりを「マンネリ」と捉えるのはあまりに早計。

ウー監督以降の数多のアクション映画が、メキシカン・スタンドオフや二丁拳銃といった様式美を真似したがために、マンネリと感じるのです。(白い鳩は除く。)

ウー監督は毎回バリエーションとアクションのテンポを変えています。「作家性の深化」と見て欲しい。

日中韓のキャストが入り乱れて、様々な言語が飛び交うセリフを「嘘くさい」とか「発音がおかしい」と貶す方もいるが、我々日本人の俳優もハリウッドや中華圏で映画に出演した際は、発音がしっかりした者は少ないのです。
ゆえに日本人キャストは日本人役が多いのです。

ウー監督が日中韓のキャストを起用したのは、来たるオリンピック、そして外国人旅行者・労働者が年々増加する日本において、人種差別のないグローバル社会を示唆した時代考証であり、ウー監督の「多様性への挑戦」と取って欲しい。

これはジョン・ウースタイルのアクションを楽しむ映画です‼️
そう割り切って欲しい。

【制約の厳しい日本でこれだけの激しいアクション映画を撮った】ことを賞賛すべき❗️
まずは、そこから褒めましょう。

MCUの映画で、韓国がアクションシーンのロケを誘致したのは記憶に新しいはず。

今作での激しいアクションは、全て日本で敢行されました。
海外資本の映画が、日本で自由に映画を製作する、その間口を広げてくれたような気がします。

セルジオ・レオーネ監督がイタリアでマカロニ・ウェスタンを撮り、アメリカらしからぬ風景にも関わらず、「西部劇」と言い張ったことに比べたら…。
今作の日本ロケの風景は全て本物!

これまでの日本を舞台にした海外映画と比較すれば、本作の自然な描写は、より明らかです。

トム・クルーズ主演の「ラストサムライ」が舞台は日本と言いながらニュージーランドでロケをし、日本ではあり得ない山の峰が登場し、茅葺き屋根ではない民家や自給自足のための田畑が少なさが不自然。

「硫黄島からの手紙」ではクリント・イーストウッド監督ですら、実際の硫黄島は民間人の立ち入りは制限されており、撮影の大部分はカリフォルニア州で行った。
また、マーティン・スコセッシ監督の映画「沈黙 -サイレンス-」は、日本人キャストが大勢参加し、長崎を主な舞台とする映画にも関わらず、規制が厳しくロケ地は台湾。
家屋服装の時代考証は健闘していますが、やはり植物や土地の風景に違和感があった。

日本を舞台した現代劇の撮影は、さらに困難だった。
リドリー・スコット監督「ブラック・レイン」では当初10週間の日本ロケの予定が、日本での撮影の難しさにより5週間で切り上げられ、アメリカの畑やセットで撮影した。
そのためその後のハリウッドでは日本でのロケが避けられるようになった。

ブラッド・ピット主演の「バベル」も東京が舞台のひとつ。
アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督は、歌舞伎町、渋谷、銀座、浅草寺ではロケ撮影は人通りが多すぎるために断わられ、苦言を呈した。

ジャッキー・チェン主演の「新宿インシデント」や「ワイルド・スピード X3 TOKYO DRIFT」はその名の通り東京が舞台だが、ゲリラ撮影を行わねばならず、そのおかげで何度も警察に捕まりかけたとか。

「ブラック・レイン」で見られた西洋人の思い込みで作られたセット装飾もなく、生の日本で撮影された「マンハント」の風景は、これまで日本を描いた映画の中でも、違和感が少なく、大健闘の部類ではないですか⁉️

当初はオリジナル版と同じく、監督は東京を舞台に設定していたものの、撮影許可が思うように下りず、大阪に変更されてしまったが、近鉄が許可してくれたおかげで、アクションが撮れたとのこと。

ご都合主義なストーリー展開、変なセリフ回し、現実味のない各種設定など、確かにツッコミどころは多々あります。
しかしそれはどのアクション映画にも言えること。

それでも、他に類を見ない「日本で撮影する限界に挑戦したアクション映画への探究心」がこの作品には感じられるのです❗️

潤沢なチャイナマネー資本を受けて、撮影された各種の迫力あるアクションシーン。

近畿日本鉄道、通称「近鉄」さんのおかげです。
近鉄所有のあべのハルカスでの撮影のおかげで、大阪城や都会の街並みも映り込み、近鉄のおかげで、通常は許可が下りない駅の中や線路上でのアクションシーンも可能になった。

近鉄が呼びかけ、大阪市が協力するようになる。
わざわざエキストラを集めた、だんじり祭りが行われる中、堂島川でジェットスキーを使った激しい水際のアクションシーンなど、アクションの中に、伝統と現代を対比させた大阪の魅せ方が上手くいっている。

その技術力や多角的なアイデアは、やはりジョン・ウー監督ならでは。
大阪の観光資料として世界に誇っていい。

橋本徹の「クリーンな大阪」府政の時代をピークとして、犯罪と混沌を助長すると、映画撮影に対して非協力的だった大阪ですが、そんな大阪を舞台に、こんなに迫力のある映像が撮れるのだと、素直に感心しました。

ロケ誘致と撮影許可交渉を実現していただいた近鉄グループホールディングスの方々には、この場を借りて感謝の言葉を申し上げたい❗️

次に、原作となる映画「君よ憤怒(ふんど)の河を渉れ」と高倉健へのリスペクトを褒めましょう。

原作「君よ憤怒の河を渉れ」から受け継がれた、「追う者」と「追われる者」の関係性の変化をシリアスに描き出すストーリーも、ジョン・ウー監督が表現し続けてきたテーマと相性が非常に良かった。

本作「マンハント」は、中国、台湾、香港など、中華圏の鑑賞者をメインターゲットとして制作された、日本作品を原作としたリメイク作品です。

日本へは、いわば「逆輸入」作品として紹介される形となります。

ここ大事ですよ❗️
日本人のためだけに撮られた映画ではないのです❗️元々邦画ではなく、中国映画なのですから、かなり好意的に日本人を描いたことに感謝すべきです。
ジョン・ウー監督は親日家ですから。

街行く人々は仕事に向かう途中出会ったり、工事現場の人は真面目に働いています。主人公を助けてくれる人もいます。
日本人のひた向きさを桜庭みなみが、日本人の道徳観を、福山雅治の上司役の竹中直人がさりげなく表現してくれています。

先に述べた「バベル」や東京を舞台にした「ロスト・イン・トランスレーション」のように金持ち国家の乱れた風俗を一部強調して紹介されるより、よほどマシです。

本作の原作にあたるのは、ハードボイルド小説・冒険小説の巨匠、西村寿行の原作小説をベースに1976年に高倉健主演で映画化された同名映画「君よ憤怒の河を渉れ」。

原作映画は、東京・北海道・能登・仙台などを舞台としたスケール感の大きい冒険推理活劇でした。
主人公の現役検事・杜丘冬人が製薬会社・厚労省の仕掛けたワナにハマり、容疑者となって東日本全域を警察から追われながら、陰謀の謎を暴いていくというストーリー。

私たち日本人の目から見ると、この作品は高倉健主演作品の中では必ずしもデキが良い作品とは言えません。
冤罪を晴らすというサスペンスに、荒唐無稽なアクションを盛り込んだように見えるのですから。

巨大なヒグマが襲い掛かってきたり(しかも2回も)、新宿のど真ん中をサラブレッドの大群が走り抜けたり、高倉健がセスナで仙台沖に不時着したりと、「ミスター超大作」の異名を持つ佐藤純彌監督の手腕もあり、奇想天外でスケールの大きいロケが話題となった大作娯楽映画でした。
(私は原作映画、好きですよ。佐藤純彌監督の創意工夫が。)

この作品は1978年に「追捕」というタイトルで中国で上映された時、意外なことに爆発的な国民的人気を博します。

(私の仕事関係者で中国から日本に嫁いできた女性に聞いたことがあるのですが、事実だそうです。)

文化大革命終了直後の中国人にとって、高倉健の万能感あふれるタフガイぶりと、ヒロイン・真由美役を演じた中野良子の純真さと強さが特に心に響いたのだとか。

何も悪いことはしていないのに、投獄されたり、粛正された当時の中国では、信念を貫く高倉健の姿に共感と憧れを感じたのでしょうね。

それが美しく純真なヒロインに惚れられ、苦難を乗り越えた末のハッピーエンドならば、思想統制の中、尚更、中国の観客の多幸感が大きかったのだと推察します。

また、ハードボイルドなのに、意外と人情派な矢村刑事を演じた原田芳雄の着崩した独特のスーツやコートの着こなしが中国で流行したり、監督を務めた佐藤純彌が、その後中華圏を舞台とした大作「敦煌」「空海」などを次々手がけるきっかけになるなど、様々な波及効果があったのです。

この「追捕」以来、亡くなるまで高倉健は中国で大スターでした。
当然ジョン・ウー監督も、この映画が好きであり、高倉健のファンだったのです。

今作を語るなら、まずこの映画を見てから、同じ土俵に立って欲しい!
さらに言えば、高倉健の代表作も見てから!

さて、ようやく本作のストーリーを追って原作映画と高倉健へのリスペクト、そしてウー監督ならではの「様式美」に溢れたアクションを検証しましょう。

漁港の居酒屋で、主人公のドゥ(チャン・ハンユー)が女将と語らうオープニング。もうこれは高倉健主演の「駅」のオマージュでしょう❗️
(でも語らうのは原作映画の話)
ドゥを演じるチャン・ハンユーは「戦場のレクイエム」での古参兵で名を挙げ、中国時代劇の武将など、寡黙で誠実で渋い男を多く演じている。
ワイルドなルックスでありながら、視線で語る演技は、高倉健の代役としては及第点では?
店に来て暴れ出すヤクザを、恐れずに咄嗟に静止するなど、言葉と行動から誠実さが伝わってくる。

その後、この居酒屋で女将(実は殺し屋)とヤクザとの狭い室内での銃撃戦は、「男たちの挽歌」での料理店「楓林閣」での銃撃戦を思い出す。
そこに流れる原作映画の「杜丘のテーマ」❗️

ジョン・ウー監督作品初となる女性の殺し屋の登場。
身体を回転させるたびに髪がなびき、女性ならではの美しいダンスの振り付けのような華麗なアクションシーン。
のっけから興奮します。
原作映画はサスペンスの趣きが強いが、もう開始数分でアクションに徹するウー監督の心意気が伝わってくる。

続いて、大阪の美しい夜景、あべのハルカスを空撮したタイトルバック。屋上のパーティ会場でのダンスが映る。
ダンスが趣味のウー監督は英華の象徴としてダンスを序盤で良く入れます。
「男たちの挽歌Ⅱ」「ワイルド・ブリット」「MI-2」でもありましたね。

パラパラとフラッシュモブをミックスしたようなダンスはどこか盆踊り的。
日本人ならばこう踊るだろうというウー監督なりの考察でしょう。
バブル景気を思い起こします。中華圏の人たちにとって、日本はいまだ豊かな先進国なのではないでしょうか?

ここで主人公ドゥの職業が明かされ、主要な登場人物も足元のクローズアップやスローモーションで印象的に紹介されます。

海外にもマーケットを持つ巨大製薬会社・天神製薬の顧問弁護士を務めていたドゥは、天神製薬会社の秘書殺しの罪を着せられ、警察に追われる立場となる。

この冤罪による逃走劇という骨子は原作映画のまま。
原作映画では婦女暴行と強盗の罪でした。
「健さんは、そんなことしない!」と観客の誰もが思うです。
その後、殺人の冤罪も加わるのですが、ここは一気に見せましたね。

秘書殺しの現場を見つけた家政婦が「コイツが犯人です!」と主人公を指差す姿も原作映画で伊佐山ひろ子さんがやっていたそのままで嬉しい。

警察の現場検証に来た刑事に、殺人容疑の上、警官暴行の罪を着せられ、ドゥは止む無く逃亡する。
近鉄大阪上本町駅をものすごい人混みの中(エキストラの数が凄い)を地下鉄線路を走って逃走する。

ここで福山雅治演じる矢村刑事の登場。
斎藤工と吉沢悠演じる誘拐犯(日本の人気俳優を徹底して脇役扱いにするのがいい!役名は犯人AとBですよ!)を報道カメラマンのフリをして、あっと言う間にねじ伏せて逮捕する姿は、さながら若きダーティー・ハリー。
ただし日本なので銃を使わない。(タンクローリー引火を恐れて)

「狼」や「ハードボイルド」での警察は正当防衛として銃で解決するのですが、治安の良い日本では、そう簡単に警察は銃を撃たないことを考慮している。
(アメリカ映画なら犯人の爆発死は必至でしょう。)
福山雅治の華麗な体術には「おぉー、やるなぁ」と唸らざるを得ない。

原作で原田芳雄が演じた野性味溢れる無頼漢な矢村とは違い、ルックスも身のこなしもスマートだ。
おそらくルックスだけならウー監督作品一でしょう。
主人公ドゥとのキャラ対比であると同時に、彼が広く知られる日本と美形の多い中華圏でのヒットを願っての戦略的な配役。
天は二物を与えたことに少し嫉妬してしまうのは、私のような卑屈な日本人男性だけだ。
福山雅治を知らぬ海外の観客にとっては、クールなように見えて熱血、かつ美しいヒーローに見えるに違いない。

原田芳雄並みのワイルドさを表現できる俳優は残念ながら現在の日本にはいない。
原田芳雄が演じた役回りと福山雅治に共通するのは「ツンデレ」である。

ドゥも矢村も見た目こそ違うが、どちらも誠実さを持っている。
相反するキャラが近づいていくのは、ウー監督作品の特徴でもある。

大阪府警刑事部捜査一課の矢村は、部下の新米刑事、百田(桜庭ななみ)と事件に加わることになる。
この百田刑事は恐らく、原作の大和田伸也演じる細江刑事の役回りだろう。
意外とモテる?ドゥにたいして警察に華を持たせた役回り。
日本の女性参画社会の象徴だと見るのは考えすぎか?
またしてもパンプスの足元から、おぼこなキャラを訴える監督のこだわりが楽しい。

矢村刑事は地下鉄建設現場でドゥを追い詰めるが、百田刑事を人質に取られ、その身代わりに車での逃走に付き合う。

映画ファンの方なら、もうご存知のことだと思いますが、ジョン・ウー監督の作品では、1980年代の香港ノワール映画時代、ハリウッドに進出した1990年代、中国に再び戻って現在に至るまで、一貫して独自の作家性と言うべき、こだわりの「様式美」がみどころの一つです。

映画「マンハント」でもしっかりその様式美は受け継がれています。
私のような熱心な「信者」の期待に応える演出の数々があるのです。

水戸黄門の印籠のように、ヒッチコックの劇中の登場のように、寅さんの白昼夢のように、それは「偉大なるマンネリ」であり、もはやウー監督がファンのために自分に課したルールなのです。

歌舞伎のように「よっ!〇〇屋!」叫びたくなる演出に乗れない、楽しめない人は、ウー監督作品を語るべきではないと思います。

その様式美の代表格が「白い鳩」。、
ここで鳩が飛びます❗️
揉みくちゃに争う2人の乗った車は鳩小屋に激突。
ウー監督作品では、毎回必ず1回はハイライトとなるシーンで登場する「白い鳩」。
これには様々な意味が込められている。
ただ飛ばしている訳ではありません。

クリスチャンでもあるウー監督にとって、鳩は、「純粋さ」「愛」「平和」「神聖さ」の象徴。

悪人だらけの登場人物の中、本作での主人公・矢村とドゥの二人は、立場の違いこそありますが、両者とも真実をしっかり見据えて行動する「純粋さ」や一途な「誠実さ」を感じさせるキャラクターです。

その二人が、最初に出会って激しく対立するこのシーンでは、矢村がドゥの顔面に銃を向けると、なんと、鳩が矢村の視界を遮り、邪魔をするのです。
まるで「おやめなさい」という神の啓示のように。

その隙を突いて反撃し、銃を奪うドゥ。
ドゥは無実を訴え、逃亡する直前、「自分は犯罪者ではない」とばかりに、銃を捨てるのが心憎い。

今回は運命的な巡り合わせを印象付けるために鳩を登場させました。
二人の人物像や物語の転換点を美しく演出しているのです。

逃したドゥの犯行を殺人現場で淡々とプロファイルする矢村の語り(まるでガリレオのようで「実に面白い…」と言うかと思ったが)に呼応するように、百田が犯行を想像して泣き出したことに驚いた。
これだけ感情移入できるならば、良いプロファイラーになれるだろう。笑

私はこのサイコメトラーな百田の姿を見て、高倉健主演映画「野生の証明」の超能力を持つヒロイン、薬師丸ひろ子を思い出した。これもオマージュだろうか?
百田はアクションの上では、活躍してないが、少女のように可愛らしく、激しいアクションの中で一服の清涼感をもたらしてくれる。

ドゥはホームレスの坂口(倉田保昭)や事件前に知り合った真由美(チー・ウェイ)に助けられ、なんとか逃亡生活を続ける。

(逃亡中、街頭に貼られた指名手配のポスターに主人公ドゥ・チウの漢字名が、原作映画の高倉健の役名「杜丘」と記載されていた。細かなリスペクトに感心。)

原作映画だとドゥを助ける側として倉田保昭が大滝秀治?
チー・ウェイが中野良子の役回りなのでしょうね。

この2人が親子ではない設定は少し残念でした。原作映画で中野良子が良かったのは「気の強い囲われのお嬢様が、外界から来た魅力的な男に惚れる」という役どころだったから。

個人的には「お父さま!」と優しい父親に反抗したり、惚れた男のためなら人前で服を脱ぐのも厭わない中野良子並みの度胸がチー・ウェイに見られなかったのが残念。

もし北海道でロケ出来ていたら、原作の設定は、生きていたのかもしれません。

しかし、そこに冒頭の居酒屋の女将、いやレイン(ハ・ジウォン)という女性エージェント率いる天神製薬の刺客がドゥを殺そうと襲撃する。

冒頭でドゥに、生まれて初めて優しい言葉をかけられたレインは、川沿いのカフェでの狙撃を躊躇い、失敗する。
レインの相棒ドーン(アンジェルス・ウー)の乱射騒ぎに矢村が駆けつけ、ジェットスキーで逃げるドゥを追跡。

ウー監督の特徴に「派手な乗り物アクション」があります。
陸・海・空と、あらゆる場所でアイデア満載の乗り物アクションが登場するのがジョン・ウー監督のアクションシーンの大きな魅力です。

本作は、香港ノワール映画の原点「男たちの挽歌」や「フェイス・オフ」のラストを彷彿とさせるジェット・スキーでの水上アクションが見られます。

本来は定番の「カーチェイス」だったようですが、交通を制限出来ず、川ならOKが出たらしい。中之島堂島川でのアクションは見た限りでは水路が狭く、かなりの猛スピード。
危険なので、さすがに半分は役者との合成映像ですが、豪快なスタントが日本の大都市で行われたのは日本ロケ誘致の成果であり、その前進は讃えるべきでしょう。

真由美と示し合わせたドゥは、一路、真由美の住む奈良県の牧場に向かう。

(北海道の牧場での撮影が可能だったら、原作映画のように、セスナ機での北海道脱出があったかもしれない。原作はミニチュア特撮だったが、ウー監督なら本物で…日本ではそこまで出来ないか?)

桜が満開の季節に、ブライダル会場の撮影が行われたのは山添村カントリーパーク大川。

ここではウー監督の「様式美」が一気に4つ登場します。

「二丁拳銃の乱射」
ウー監督は、西部劇を除いてはほぼ絶滅状態だった「二丁拳銃」を香港ノワール映画において復活させました。以来、大半の作品において、主人公にベレッタを両手に持たせています。

銃撃戦に巻き込まれるブライダル会場で、ドーンが長テーブルを滑り込みながらの二丁拳銃はカッコ良かったです。「男たちの挽歌Ⅱ」や「ハードボイルド」のチョウ・ユンファの階段を滑りながらの射撃を思い出しました。

日本では法律上「1人の警官が拳銃を二丁持てない」という制約があるため、本作でドゥと矢村は、「二人で一丁」「二人で二丁」と、単純な二丁拳銃だけではなく、様々なバリエーションを、息のあった流れる動きで披露してくれています。
ここは「様式美の深化」と言えるでしょう。

オマケに床の間の日本刀で、矢村が剣戟を披露。
「男たちの挽歌Ⅱ」でティ・ロンが披露し
ましたが、刃を滑らせる動きは確かに肉を切る深さが感じられた。
福山雅治の「るろうに剣心」での役作りの成果ですね。

「敵方のわかりやすい統一した服装」も密かなウー監督のお約束です。
敵味方入り乱れて狭隘なスペースで激しい戦闘を行うアクションシーンが多いためか、敵味方を分かりやすくするため、ほぼ毎作、ウー監督は敵方の服装を全員統一(笑)
大抵、敵方は「白一色」(狼・男たちの挽歌最終章のチンピラ)か「黒一色」(狼のラスト)が多いのですが、今回もメチャクチャわかりやすく全身真っ黒です(笑)

「狭い建物内での壮絶な撃ち合い」
そして、どのアクションシーンのクライマックスも狭い室内で人口密度を高くして行われることが多いのがジョン・ウー監督作品の特色。
(室内だと鳩も外に逃げないですし)
狭い場所だからこそ、激しい戦闘の臨場感が出るのでしょう。

本作では映画冒頭の居酒屋、中間のこの牧場シーン、クライマックスの研究所シーンと3箇所で、狭い部屋の中で敵味方入り乱れてガンアクションを繰り広げます。

「呉越同舟な男たちが育む友情と絆」
狭いスペースで大勢の敵に囲まれて極限状態に置かれた時、それまで敵味方に分かれて戦っていた男たちが、成り行き上共闘することになる流れが多いのもウー監督作品の特徴。
戦いながら、お互いに兵器を融通しあったり、ドゥがさりげなく弾倉を詰め替えてあげたりと、協力プレイをこなすうちに友情が芽生えていきます。


矢村は負傷してしまうが、ドゥの言動や彼を狙う殺し屋の出現から、彼が無実の罪であると確証していく。
また、ドゥはここで逃亡を手助けしてくれていた真由美から衝撃の事実を聞くことに。

実は真由美には天神製薬に務めていた研究者の正樹という婚約者がいたのだが、彼は天神製薬が研究していた違法薬物を世間に公表しようしていた。

その正樹が起こした裁判で、製薬側を勝たせてしまったのがドゥ。
正樹は結婚式当日にレインらに殺されてしまう。

しかし、正樹は密かに違法薬物完成の最後のカギとなる処方コードを隠しており、それを真由美が発見する。

それを聞いたドゥは真実を解明し、天神製薬の陰謀を暴くために研究所に乗り込む。
違法薬物とは痛みを感じさせず、人間を凶暴化させる軍事目的のもの。

原作映画では、他人の命令を無条件に聞く薬でした。
その薬を使って殺人を犯した製薬側を、裁判で追い詰めたのが高倉健の杜丘。
製薬側に乗り込み、どんな薬かを突き止めようと骨子は原作と同じです。

倉田保昭の起用理由は、この新薬実験の効果として発揮されます。笑。
70代のお歳を召された身体で、大人数相手に見事なカンフー、大乱戦を披露。
かつて和製ドラゴンと評された日本の国際派アクションスターの面目躍如ですよ!
ナチュラルな中国語も素晴らしい。

一方、矢村も警察内部の人間が天神製薬と密接に関わっていることを知り、またそこから社長の酒井の陰謀に気付く。

こうして、ドゥと矢村はそれぞれ独自に天神製薬に乗り込んでいくが、違法薬物はすでに完成間近で、ドゥが捕まり、違法薬物の実験台にされてしまう。

その薬物を投与された者は痛みを感じなくなり、パワーが増大。
そして感情のコントロールが効かなくなってしまうという副作用があり、ドゥも症状に襲われる。
しかしそこに矢村が現れドゥは自我を取り戻し、2人で天神製薬の陰謀を暴き、薬物流出を防ぐために戦っていく。

この天神製薬の研究所でのアクションは、「MI-2」のキメラウイルス研究所でのアクションや「ハードボイルド」のラストの病院内での長〜い銃撃戦を思い出します。

捕らえられていた真由美と、酒井の悪巧みにさじを投げたレインも味方に加わり、ドゥと矢村は研究所を崩壊させることに成功。

ステンレスの壁に当たる跳弾の光。
弾け飛ぶカラフルな液体の実験道具。
あちこちから立ち上がる炎。
窓枠を飛び越えて振り向きながら、撃たれた衝撃をそのまま利用して回転しながら撃つ、アクロバティックな射撃。
狭い場所での乱戦で、銃を叩き落とされた時の咄嗟のハイスピードな肉弾戦。

香港ノワール時代の「バレット・バレエ(銃撃のバレエ)」と言われたアクションが再現されるのです。
ここは日本で撮影されたことを、忘れました。

しかも日本人、韓国人、中国人キャストが入り乱れて、誰一人としてアクション映画に特化した、いわゆるアクションスターがいないというのに、これだけのアクションを撮影できたのは、やはりウー監督の作曲家のような緩急の付け方が巧みな編集のおかげ。

このクライマックスではウー監督の真骨頂である「スローモーション、ストップモーションの多用」が見られます。

アクションシーンが佳境に入ると、超高感度カメラで撮影された映像をコマ送りする「スローモーション」が多用されます。

特に適役が撃たれる際に、その衝撃と痛みが感じ取れるようにスローモーションを使うのです。
これはウー監督も認めていますが、サム・ペキンパー監督の影響。

香港アクションならではのハイスピードな格闘。
味方側の銃撃の際のバレエのような美しい身のこなし。
適役が撃たれた時の痛みと敗北感。
緩急をつけたアクション演出は、もはや一つの交響曲の音楽のよう。
それ故にウー監督は「アクション映画のマエストロ(名指揮者)」と呼ばれるのです。

余談ですが…
「フェイス・オフ」で銃撃戦のバックに名曲「over the Rainbow」を流したウー監督。
家庭でのウー監督作品鑑賞の際は、アクションシーンで音を消してクラッシック音楽やビバップのジャズを流してみてください。見事にマッチします。お勧めです。

話を元に戻します。
戦いの最中に、ドゥが濡れ衣を着せられていた秘書殺人の真犯人は酒井の息子・宏であることも判明。

殺害の理由は、秘書に惚れていた宏の嫉妬。秘書は宏に惚れてはおらず、酒井からドゥに対してハニートラップを指示されていた。
この辺は、まるでテレビの2時間サスペンスのような種明かしなのだが、原作映画もアクションと美術以外のドラマ部分は、そういう雰囲気なのだ。
私はそこもリスペクトなのだと感じる。

宏は自ら新薬を自分に投与し、激しい戦闘で死亡する。
池内博之の宏は、原作映画の堂塔医師(岡田英次)の役回りなのでしょうね。
高度成長期の堂塔医師は金の為だけに動いていましたが、青二才でファザコンな息子という宏キャラクターは現代日本のゆとり世代、(中国の一人っ子政策による甘やかし)の親子関係の象徴のようで、現代にマッチしている気がします。

息子と薬を失い、また陰謀を暴かれた酒井は絶望して自害する。

國村隼は25年前のウー監督作品「ハードボイルド 新・男たちの挽歌」で冒頭、冷酷な悪役として飲茶飯店でチョウ・ユンファと大銃撃戦を繰り広げている。
今回もガンアクションを披露してくれるかと思っていたが、さすがに25年の月日は長かった。

今回は友情出演という形なので、裏で画策する大ボスという役どころ。
私腹を肥やす会社のボスが銃撃戦を繰り広げたら不自然だという判断なのだろう。
ボスが銃撃戦をしたら、部下であったレインやドーンの存在価値が危うくなる。

原作映画では西村晃が演じた役どころ。
西村晃は高慢で、人を人とも思わない悪党であり、法律では裁けない存在だった。

矢村刑事は「人間のクズ」と評し、拳銃を向け「堂塔医師の様に、飛び降り自殺しろ」と迫るが、「なぜ私がそんなことを?」と拒否したところ、矢村に射殺されるのである。

國村隼はそこまで高慢ではなく、会社を大きくすることを目的とし、息子を大切にし、レインたちを娘と呼ぶところが、ゴッドファーザーのイメージに近い。
多忙ゆえに登場シーンが少ない友情出演。
もっと掘り下げるシーンがあれば、息子を失った時の絶叫以上に、西村晃とは違い、悪にも同情できるラストが待っていただろう。

しかし、国際的俳優として成長した貫禄を持って、目で語るボスを演じ、作品を締めるのスパイスとなっているのは流石だ。

こうして天神製薬が起こした陰謀と一連の事件は解決する。

晴れて無実となったドゥは矢村に別れを告げ、そして真由美と結ばれるのであった。

ラストでの駅でのドゥと矢村の別れ。
そしてドゥと真由美との旅立ち。

駅という場所自体が高倉健映画へのオマージュですね。
「駅」「鉄道員」「遥かなる山の呼び声」
などがまず浮かびます。
古いところでは「大いなる旅路」「網走番外地」意外なところでは「新幹線大爆破」。
高倉健の「鉄道映画」は、不朽の名作ばかりです。
ラストカットはその健さんの代役たるドゥを映さず、矢村と百田を映したのは、もう健さんは遠くに行ってしまった、もう会えないというウー監督の想いからでしょう。

過去より明日へ。
矢村が「for better tomorrow」と言うのはギャグではなく、健さんへのお別れにも聞こえるのです。

不条理な理由で追われることになった主人公と、それを追う立場のもう一人の主人公。

ストーリーが進展するにつれて、「追われていた者」がふとしたきっかけで、「追う者」へと攻守交代するその変化の面白さや、二者がギリギリの中でせめぎ合い。

そこで発生するシリアスな緊張感や葛藤、友情は、ウー監督の得意とする持ち味です。

「リアリティよりも、主人公二人の関係性に注目して欲しい」とジョン・ウー監督がインタビューで語った通り、激しい戦いを通して培われたドゥ・チウと矢村の国境を超えた友情・絆は、原作映画以上に鮮明に描かれていたと思います。

全編日本ロケで撮影され、大半のキャストで日本人を起用して制作された本作。
実はクレジットには日本人スタッフも多く参加している。

撮影監督、石坂拓郎「るろうに剣心」
美術監督、種田陽平「三度目の殺人」
音楽、岩代太郎「レッドクリフ」
アクション振付、園村健介「GANTZ」
衣装デザイン、小川久美子「キル・ビル」

それなのに、仕上がりは不思議と無国籍で、日本映画とは全然違うテイストに仕上がった本作。
ウー監督の挑戦として新鮮な気持ちで見ることができた佳作です。

来年度2020年のオリンピックに向けて、私たち日本人が持つべき、差別のない国境を超えた信頼関係が描かれています。

なのに、酷評されることに対して、私はどうしても納得がいかない❗️

冒頭に戻ります。
美味しい料理とは、素材の良さを生かし、作る側の愛情と個性的な味付けを施したものである。

日本人キャストだけでなく、キャストの素材を生かしています。
あれだけ激しいアクションをした努力をなぜ認めてあげないのか?
じゃあ、貴方がやって見せなさい!
(失礼、つい感情的に…)

愛する人の得意料理を、無碍にマズイ❗️と言えますか?
「もう終わっている」とか「古くさい、昔のまんまの演出」という批評も多く見ました。
じゃあ、恋人や奥さんの作った定番料理に「もう飽き飽きした」と言って下さい。
私は言えません。

水戸黄門に印籠は出さないで下さい。
東山の金さんに桜吹雪の入れ墨出さないで下さい。
座頭市に仕込み刀を抜かないでください。と言っているようなもの。
たとえマンネリでも、それは「偉大なマンネリ」なのです。

ウー監督の「様式美」に惚れてファンになったのなら、その帰還に素直に喜ぶべき。
大切な人の手料理と一緒で、少しずつ隠し味は変わっているのですから。

熟練のシェフが道具すら揃わない環境で、高級食材を使わず、現地で調達した食材で何とかお客様に喜んで頂ける料理を作ったとしましょう。
それはシェフの思い描いた理想とは違うモノであることはまず間違いない。

キャストもスタッフも現地である日本人を多く使っています。
問題はアクション撮影の許可が降りない日本のお役所の姿勢なのです❗️
ウー監督と現在のチャイナマネーの勢いを持ってすれば、もっとものすごいアクション大作が可能だったはず。
規制の激しい日本で無ければ❗️

ウー監督が「日本で"追捕"を撮りたい」というのは前々からの願いであり、原作映画と高倉健への感謝の気持ちを形にしたかったのです。

原作映画にあるアクションがウー監督ならスケールアップさせてくれる期待があっただけに、日本での撮影の制約が残念です。

巨大なヒグマが襲い掛かる。
もしかしてドーン役のウー監督の娘が熊の代役でしょうか?(そんな訳ないか…)

日本以外の撮影なら、きっとウー監督は動物園やサーカスに追跡の果てに突っ込んで猛獣を登場させたでしょう。

高倉健がセスナで仙台沖に不時着。
これも日本以外の撮影なら、セスナ機でもヘリコプターでも空での追跡劇が出来たはず。「ブロークン・アロー」や「フェイス・オフ」ではウー監督は飛行機を使っているのですから。

新宿のど真ん中をサラブレッドの大群が走り抜ける。
その代わりがジェット・スキーチェイスだったのでしょうか?
それとも、だんじり祭りだったのでしょうか?
ウー監督なら許可さえ降りれば、新宿だろうが大阪だろうが、車やバイクだとしても大捕物を仕掛けられたはず。
それは香港時代に証明しています。

作り手の苦労を知らず、出てきた料理をマズイ❗️と貴方は言えますか❓

この映画はそんな気分になる映画です。
日本でこれだけのアクションを作ってくれたことをキャスト・スタッフの努力に感謝します。

それだけでも5点と言いたいのですが、ウー監督に自由に撮影させてあげられなかった厳しい日本の規制にマイナス0.5。
もっとストーリー部分の掘り下げや、特に敵のキャラクターの見せ場がもっと欲しかったことにマイナス0.3。
日本語、英語、中国語と飛び交う多国籍言語の使いどころをスッキリとまとめて感情移入させて欲しかったことに0.3です。

最後に一言。
日本で撮影する限界に挑戦したアクション映画であり、ジョン・ウースタイルのアクションを楽しむ映画です‼️

いやー今回、長くなりました。
少し休みます。
yoshi

yoshi