Inagaquilala

22年目の告白 私が殺人犯ですのInagaquilalaのレビュー・感想・評価

3.6
「SR サイタマノラッパー」の入江悠監督がメガホンをとる、「ジョーカー・ゲーム」に続くメジャー作品ということで劇場に足を運ぶ。「ジョーカー・ゲーム」は、原作小説も話題作であり、かつ監督としても初めてのバジェットの大きな作品ということもあり、かなりの期待値を持って観に出かけたのだが、連作短編である原作をまとめるためにかなり苦労をした痕跡があり、正直言って満足できるものではなかった。今回の原作は2012年の韓国映画「殺人の告白」。どのように自分のものとして入江監督が仕上げるのか、お手並み拝見というところだった。

この作品のキーポイントなるのは殺人事件の「時効」。日本では、2010年4月に改正刑事訴訟法が成立し、殺人事件の時効が廃止された。つまり廃止から遡ること15年間に起きた殺人事件には時効が適用されないことになる。この作品では殺人事件が起きたのを1995年の時効成立期間内とし、その犯人だと名乗る曽根崎雅人が22年後に、メディアの前に姿を表すところから始まる。5件の連続殺人事件の犯人だと名乗る曽根崎は、自ら告白本を出版し、そのプロモーションのためにサイン会も行う。

その曽根崎の行動に、当然の如くメディアは反応し、彼を取り上げるが、逆に時の人として世の中に彼の顔は知れ渡る。ニュース番組にも出演する曽根崎、このあたりの狂騒ぶりは、なかなか面白く描かれている。22年前、寸前で犯人を取り逃がした警察官である牧村航とのやりとりも前半のドラマを盛り上げていくが、これが後半に入ると一筋縄ではいかない。果たして、犯人だと名乗りを上げた曽根崎の本当の狙いとは何なのか。

韓国映画を原作としているためか、途中から物語は二転三転、いろいろサプライズが仕掛けられていくのだが、どうも終盤に行くにしたがって興ざめしていくのが気になった。それは連続殺人の犯人の動機がかなり陳腐で、およそありえない人物設定でもあるためだが、例えば22年前の殺人事件の行方不明者が発見される場所がやや納得の行かない場所だったり、ある人物がどうして犯行の核心に近づいていったのかいまひとつ納得がいかなかったり、要するにディテールで甘いところが、終盤に向かって目立ってくるのだ。

日本における殺人事件の時効に、かなりこだわった脚本づくりをしているのに、ややそのあたりの最終的な結末が「軽い」のが、どうにも残念な気がした。そして、曽根崎役の藤原竜也、これに対する牧村役の伊藤英明に比べて、もうひとりのキーポイントともなる重要人物がどうもそれらしく見えないのも、ひっかかっている理由かもしれない。

7週続いた「美女と野獣」の全国週末興行成績第1位の座を、封切り週に奪い取ったこの作品、予告編がよくできていたのもそれに寄与しているかもしれないが、とにかくこの作品、「起」、「承」は良くて、「転」も許せるのだが、そのいささか強引な「結」がどうにも納得できないのだ。ストーリーのひっくり返しまでは許せるのだが、どうも「結」には無理がある、それが正直な感想だ。
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