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僕のワンダフル・ライフのdm10foreverのレビュー・感想・評価

僕のワンダフル・ライフ(2017年製作の映画)
4.5
【使命】

あっか~~~ん!

朝から地下鉄で涙の豊平峡ダム(地元ネタ)が決壊寸前。
ウルウルなんて可愛い言葉では済まされん。まさに鼻水ズビズバ状態。
・・・ま、そうなるってわかってて観てるんですけどね(笑)

わけあって最新作の「僕のワンダフルジャーニー」から先に観てしまったため、逆に「過去に何があったのか?」については何となくインプットされた状態で観ましたが・・・。
いや~~泣いた。我慢した分だけ追い打ちが凄いのなんのって。思い出すだけで、やば・・。

今まで色んな物語を観てきた中で色んな人生というものも感じてきたけど、やっぱりね、思いを残したまま死んでしまうということは悲劇なんですよね。もうどうすることも出来ないから。
で、そのままその思いに囚われ続けて、結果的には煉獄へと堕ちてしまう。
そしてそれは「終わることのない苦しみ」という意味で例えられることが圧倒的に多いと思う。
でもこの作品を観て、初めて「転生」という名の煉獄に対して「苦るしい」とか「辛い」とかではなく「チャンス」という明るいものを強く感じた。

~僕は何のために生まれてきたんだろう?~

まだベイリーと名付けられる前、路地裏の野良犬として生まれた子犬の楽しみはお母さんのおっぱいと兄弟とのかけっこ。しかしその幸せは「野良犬の殺処分」という理不尽な終わり方で幕を閉じる。
もの凄くハッピーな物語を想像していたところに、いきなり強めのカウンターパンチ。
(そうだよね・・・でもそういう現実もあるかもね。)
犬たちは人間の都合で殺されるために生まれてきたわけじゃない。だから思う

~僕は何のために生まれてきたんだろう?~

それでも生まれ変わる犬に、一種の辛い煉獄的な要素を感じたんですね。
でもイーサンとの出会いが全てを変えてくれた。

~イーサンの為に生きる~

それは何度生まれ変わっても。

この物語では犬同士が会話をしたり、必要以上に意思疎通を持つようなシーンはない。
あくまでもベイリーのちょっと特別な体験のお話としてそれ以上の味付けはしない。
だからこそ、観ている私たちは現実世界の住人として「こんなことがあったら素敵だな」と感じる。
多分これ以上過剰な設定を加えると、「お話し」としてもうちょっと離れた位置から観てしまうかもしれない。
設定がいい塩梅だから、都合よく何度も犬に生まれ変わることもそれほど気にならない(それくらいが奇跡の絶妙なリミットかな)。もしトンボとか蜘蛛とかに転生されても気が付かないだろうし、象やライオンなんかに転生されたらイーサンと触れ合う機会すらなくなる。

で、イーサンの為に生きたいと願いながらも、願い通りに生まれ変われるわけでもない。
時には「つまらない犬生」を送ることもある。時には「人間の為に働く犬生」もある。
でも、やっぱり「誰かを愛して」「誰かに愛される」からこそ幸せに終わりを迎えられる。
もしかしたら、ベイリーという名前がなければ、この子はどこかのタイミングで幸せに「終われた」のかもしれない。
でも、あまりにもベイリーが幸せすぎたから。何度でも生まれ変わって「ベイリー」としてイーサンにもう一度会いたい。顔をペロペロしたい。「ベイリー!ベイリー!ベイリー!」と呼ばれたい。思いっきり抱きしめられたい。

ラストはね・・・そりゃ都合が良すぎるかもしれないよ。
でも、そんな事はどうだって良かった。だってイーサンとベイリーが再会出来たんだもん。それ以上はもういいでしょ。

あ~泣いた。
そして愛犬ベリー(ミニチュア・シュナウツァー♀15歳)とバンビ(ジャック・ラッセル・テリア♀14歳)に心を寄せる。
堪らなく愛おしい。2匹とも老犬の域に入ってきた。
ベリーはもしかしたら年は越せないかもしれないくらいに弱ってきている。
・・・まだ早いけど、でも覚悟しなければいけない時期に来ていることも分かっている。

辛い。でも、もしかしたら・・・。
精神世界の話かもしれないけど、ちょっぴりだけこのお話しに救われている自分がいた。
そして、奇しくも昨日は実家で飼っていたエド君の命日でもあった。
とっても気持ちの優しいいい奴だった。
このタイミングでこの映画を観たのは何かの巡り合わせだったのかもしれない。
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