映画としては面白くはない。
ただ、実際に都内で電気を含めたライフラインが途絶えた時、現代の日本人はどうなるか、シミュレートした作品でした。
しかも、主人公たちを平凡な一家族にしていて、名前もありふれた「鈴木」にしている点でも分かりやすいだろう。
父親は典型的な仕事人間で家族に関心がなく、常に自分は偉いという態度を取りながら実際は中身が空っぽ。
母親は家庭を上手く支えているが、料理はそこまで得意じゃなく、近所付き合いがメイン。
長男は帰ってきても挨拶もせず、真っ直ぐ部屋に入って自分の世界へ。
長女は何かについて文句を言って、スマホは体の一部。
このようなテンプレートな家族を登場させ、実際にあるだろう厳しい状況へ投げ込むと彼らはどのように生きていくか、そんな実験に見えました。
つまり、ストーリーとしてはそこまで際立ったモノはなく、あくまで観ている側をその世界に置いて一緒に“考えさせる”事を目的にしている。
だからこそ、テンプレート的な登場人物を配置し、より自分がその中に溶け込めるようにしたのだと思います。
「自分なら、この場合だとこうする」とか、「それをないだろう」とか、「違う違う、そうじゃない」と呟かなくても心の中でツッコミを入れると思います。
アメリカだと家族の絆だとか、父親がヒーローになるとか、反抗期の息子や娘が和解するとか、そのようなストーリーを入れてきます。
しかし、本作はあくまでシミュレートなので、そのような要素はかなり薄めに入っていて、オマケ程度に感じました。
この作品は現代の日本人に文明を享受している幸せな人生を提示し、同時に可能性の問題を提唱し、それを考えさせる作品だと感じました。