「健常」に対する「聴覚障害」を比べると聞こえないことが劣っているようにも捉えられるが、同時にそれは「喧騒」に対する「静寂」であり、題名の『聞こえるということ』の肯定的な一面と後ろ向きな一面が描かれていた。
そして作中での主人公は多くの場合、後ろ向きに捉えられる側に置かれており、それが悲しい。
(一時的に肯定的な側に置かれる描写もみられるが、それが後の悲しさを助長させているようにも思えた。)
ラストシーンの無音は、安穏の意味合いなのか、あるいは諦観という意味合いなのか、どちらにも解釈することができ、それまでの悲しさと相まって鑑賞後に放心状態に陥った。