スタンダード

マグダラのマリアのスタンダードのレビュー・感想・評価

マグダラのマリア(2018年製作の映画)
4.0
【新約聖女まぐだ☆マリア】


見ましたよ!話題作『まぐマリ』


『不潔 ほあき』役が、
『CV:ホアキン・フェニックス』なんで、
『ずっと注目してた作品』です。


『キュェてる』こと、
『キウェテル・イジョフォー』
も出演しているとのことで、
楽しみにしておりました。


しかし、
『いつのまにかソフト化』
されていました。
『いつ再臨するの?』
と思っていたので拍子抜けです。


どうやら、
配給元のワインスタイン社社主、
『ハーヴェイ・ワインスタイン』の
『ワインスタイン効果の影響』により、
『ホキュゥべえ(北米)公開が延期』
となったそうですね。


『本作のテーマともリンク』する、
『何とも因果な話』です。


【お産に気絶するオッサン】


序盤にあるお産シーンで、
マリア『私がついてる、頑張って‼︎』
と妹?を励ましていたので、
『俺も見届けなくては‼︎』
と覚悟を決めていました。


しかし、
『気づいたら別のシーンでした』
『多分、僕は気絶していたのです』
『男性は出産の痛みに耐えられない』
『その事実を痛感』しました。


『唯一の例外』は
『シュワちゃん』だけでしょう。
シュワちゃんは実証済みです。


【強烈な個性】


僕が本作を鑑賞したのは、
『ホアキンが出演しているから』であり、
『出演していなければ鑑賞しなかった』
と思います。


『興味がないものに触れる』には、
『強烈な個性の力を借りる』ことです。


『映画そのものを喰ってしまう』ような、
『強烈な個性が演者には必要』です。


主演『千◯美◯』だとしても、
『僕は鑑賞する気にはなれません』


『母体の影響力が強すぎて』
『演者自身が霞んでしまっている』
からです。


【タッチの続き】
【死線が変われば味方も変わる②A】


ユダは、
『イエスにYES』と言わせるために、
あのような裏切りに及んだと、
本作では解釈がなされています。


最愛の人を失ったユダは、
『他者(イエス)を拠り所にすることで』
『家族との再会を果たそうとした』
という描かれ方です。


家族を奪われたユダは、
『自分が被害者である』
という意識を強く持っていました。


【死線が変われば味方も変わる③A】


一方でマリアは、
『慣習に従わぬアウトロー』
『許されざる者』として、
『加害者』の側面が強く描かれます。


マリアは
『善意の加害者』ですが、
『家族からは裏切り者』
という扱いを受けます。


◯水◯美◯も、
『マリアと同じ心境』
だったのかもしれません。


しかしマリアの場合は、
『宗教を超越した』
『強烈な個性』がありました。


組織に埋もれない、
『自ら答えを導くという信念』
がありました。


【死線が変われば味方も変わる④A】


小説家・遠藤周作もマリアと同様、
『キリストの教えに対する』
『独自の在り方(答え)』
を持っていました。


本作のユダは、
表『被害者としての自分のみが存在し』
裏『加害者としての自分は存在しない』
という意識が強いのです。


しかし、
『表と裏は常に一体であり』
『その事実が均衡をもたらす』
のかもしれません。


『世間に正解を求めるのではなく』
『集団に正解を求めるのでもない』
『自分の中に正解は常に存在している』


『自分というフィルターを通して』
『物事を見つめていく』
『それを本作は伝えようとしている』
のかもしれません。


ちなみに僕は、
『まどマギを未鑑賞』です。