140字プロレス鶴見辰吾ジラ

新感染 ファイナル・エクスプレスの140字プロレス鶴見辰吾ジラのレビュー・感想・評価

4.4
”明日、隕石が落ちてくれば仕事しなくていい”

映画先進国には規模で勝つことのできない発展途上国は、加工貿易的手法でのし上がるほかない。経済発展の加速度に振り落とされてしまうかもしれないという根源的恐怖とこの日常に風穴が開いて塞がらないほどに破壊されてしまえば解放されるのではないか?という根源的期待が鬩ぎ合う傑作社会派ゾンビ映画へと到達している。

利己的で家族を蔑ろにする父親が娘への愛を危機的状況で回復させていく設定は、紛れもなくスティーブン・スピルバーグ版の「宇宙戦争」であり、高速鉄道に降りかかる不条理な事象とグランドホテル方式のサスペンスは、高倉健主演の「新幹線代爆破」である。危機的状況が加速していき電話の向こうで大切な人が異形に飲まれていく、M・ナイト・シャマランの「ハプニング」、母の生死すら絶望的な空虚な希望は、スティーブン・キングの「ミスト」である。それでも今作が抱える経済発展の加速が軋ませる韓国社会の蹴落とし型の不条理性がある日人ならざる力が解放してくれるという期待感は、POV視点パニックで市井の人々の混乱を描いた「クローバーフィールド」で自由の女神の首が眼前に横たわるその瞬間であり、災害シュミレートと報道規制がSNSで無残に散って、本来切り札的存在が打ち砕かられる絶望感は「シンゴジラ」の丸子橋陥落である。止まることのできない加速度的成長の代償を社会的弱者であるホームレスや老人、妊婦そして子供に被せようとし、優しく他人を気に掛けた者には不条理が…

事の始まりがまだ日の出前の暗い時刻で、不安感と同時に旅行に行くワクワク感を同義に伝えていて目が離せないのがなんとも言えない不安と期待の裏表。けたたましい消防車のサイレンや舞い落ちるビル火災の灰など芸の細かい導入からKTXの加速とともに窓外に映る異変は洗練されていた。

ゾンビ映画に必要なゾンビ自体のルール設定、発動条件は勢いに任せてしまった印象は否めないものの、中盤に小刻みに放たれるセリフがボディブローのように回収されたり、主人公が合わせ鏡の中心に閉じ込められたような象徴的なシーンが絵としてキマっていて、ゾンビが根源的恐怖かつ解放への希望として機能している。

宇宙戦争やハリウッド版の通称ギャレゴジのオマージュシーンからクライマックスは怒涛の感涙作用を含んだ過剰なライド感。序盤に放たれた伏線が確かなカタルシスと僅かな前向きさをもって回収される様は爽快そのものだった。

エンディングまで泣くんじゃない、諦めたらそこで試合終了である。