TOSHI

エルネストのTOSHIのレビュー・感想・評価

エルネスト(2017年製作の映画)
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阪本監督の「団地」の次作が、キューバ革命の英雄・チェ・ゲバラと共闘した日系人の実話とは、振れ幅があり過ぎで驚いたが、社会のアウトサイダーに焦点を当て、国際感覚のハードな作品も作って来た阪本監督なら考えられると思い直した。ゲバラ没後50年の企画ありきで、日本で撮れる監督を探したら、阪本監督になったという感じだろうか。革命のための戦闘が中心の作品かと想像したが、全く異なる物だった。
キューバ革命に関するニュース・フィルムで始まるのは感心しなかったが、キューバ革命後の1959年にキューバ使節団としてゲバラ一行が来日し、平和のために戦うには被爆地を訪れるべきという考えで、広島の平和記念公園を訪れる描写が良い。ゲバラ(演じたホワン・ミゲル・バレロ・アコスタがそっくりだ)が来日時には無名だった事が分かるが、アメリカとの関係で来日を好ましく思わない日本政府に関係なく、夜行列車で大阪から広島まで向かう行動に、周囲の利害など気にせずに、自分のやりたいことをして、行きたいところに行くという彼の考えが現れている。地元紙の記者(永山絢斗)に取材されながら、「過ちは繰り返しません」という墓碑銘に何故主語がないのかを指摘し、資料館で「君達はアメリカにあんな酷いことされたのに、どうして怒らないのか」と言う。ゲバラの思想が分かる印象的な言葉である。
ゲバラはその後、キューバで政治家として活動した後、キューバ革命を成功させ(アメリカと徹底抗戦、ソ連に接近、キューバ危機となる)、ボリビアへ渡り、再び革命家としての活動することになる。

フレディ前村ウルタード(オダギリジョー)は二世として、日本人の血を引きながらもボリビア人として生きていたが、自分の村の貧困に心を痛め(自身の家庭は裕福で、貧しい親子に薬や食べ物を持っていってあげていた)、医者になろうとキューバ国立ハバナ大学に留学し、留学生を取り仕切るまとめ役として活動する。オダギリジョーがスペイン語(方言混じり)をネイティブのように使いこなし、日常会話だけでなく細かな感情の起伏まで表現しているのに驚く。
私が映画に求める物は「華麗なる嘘」であり、史実を忠実に再現するリアリズムを褒めたくはないのだが(そういった意味で映画の試みとしては、韓国映画「悲夢」の韓国語を話すイ・ナヨンと日本語を話すオダギリジョーが、そのまま会話する演出の方を褒めたい)、それでも本作の彼は凄い。言葉や外見を似せているだけでなく、俳優オダギリジョーが消え去り、複雑なアイデンティティを持つ日系ボリビア人そのものを体現している事が凄い(各映画賞はこれを主演男優賞にしないのなら、存在意義はないだろう)。

フレディ前村が、妊娠して捨てられ一人で子供を育てるルイサ(ジゼル・ロミンチャル)に尽くす愛の物語が描かれるが、一方でキューバ危機の状況下、彼はキューバの最高指導者フィデル・カストロやゲバラの影響を受ける。しかし肝心なフレディ前村とゲバラの関係性が、分かりにくい物になっているのだ。大学入学前に予備課程を学ぶ医学校を訪れたゲバラと最初に出会うシーンが、あたかも面識があるように見えるが、後半のシーンでゲバラがフレディ前村を認識していなかったことが分かる。説明不足だろう。フレディ前村が何故ゲバラに魅せられたのかが、観念的に扱われているのも分かりにくい。二人は医者を目指す過程で革命に身を投じていった共通項があるが、フレディ前村が留学する際にあったと思われる政治的思想が描かれず、貧困や水害が彼を動かしたようにしか見えない。そのため冒頭の、ゲバラの「何故アメリカに怒らない」というセリフもフレディ前村の生き方と繋がってこないのだ(フレディ前村が口にする、見果てぬ夢を見て何が悪いという、ゲバラと発言したのと同じセリフも説得力が生まれていない)。
やがてボリビアで軍事クーデターが起き、医学を捨ててゲバラが組織する革命支援隊に加わり、軍事政権に立ち向かう戦いに出るまでのドラマも、メリハリがなく物足りなさを感じてしまった。フレディ前村が戦場に向かい死ぬ(史実なのでネタバレではないだろう)までが、予定調和的に淡々と描かれ、内面的な葛藤の描写が弱く感じた。戦場での戦いの描写も、短く凄みに欠ける印象だ(ゲバラから戦士名として、自らのファーストネームと同じエルネストを授けられるシーンは秀逸)。
フレディ前村の敵軍兵士とのある皮肉な出会いがあるが、キューバ革命で味方につけられた貧民を、ボリビア革命では味方につけられなかった事、そしてボリビアからの留学生は裕福なインテリ層が中心で、自国の多くの貧民とは実は分断していた事が、十分に描かれていないために、活かされていないのも問題だ。「分断を乗り越えるための戦い」という革命の本質(ゲバラの、憎しみから始まる戦いは勝てないという言葉もそれを表している筈だ)が、表現し切れていなかったのは残念だ。

酷評のようになってしまったが、何度も挿入される、フレディ前村が自分を水の中の石だと錯覚するシーンに象徴されるように、生(水)の中の死(石)、死を覚悟して生きるフレディ前村とゲバラに共通する観念の表現や、ルイサとの愛の生活(生)を捨て、戦場(死)に向かう表現は良かった。フレディ前村が死してから、ルイサの心の中で、もっと言えば、世界中の人々の心の中で、生き続ける存在になった事実に感動させられた。ゲリラのイメージが最悪な現代だからこそ、短く輝いて消えた彼の一生は今の人々に知られる意義があるだろう。

壁ドン系の少女漫画原作の作品等が幅を利かす現在の日本映画界では異質な、マーケティングを無視した無謀とも思える作品に挑んだ制作陣の気概を称賛したい。