天豆てんまめ

関ヶ原の天豆てんまめのレビュー・感想・評価

関ヶ原(2017年製作の映画)
3.9
司馬遼太郎の「関ケ原」上中下巻を読んで、映画を小6の次男と観に行った。楽しみにしていた。あの史上最大の合戦をどう映画化するのだろうか。

誰もが歴史の授業で習った「関ケ原の戦い」が起こったのは1600年9月15日。今から417年前の今頃。417年という年月は途方もなく、昔のことなのか、そうでもないのか、時間感覚は人それぞれだと思う。でも、ここで描かれている徳川家康の戦略、戦術は、今、政治界にいたら、天才戦略家となるだろう説得力があり、関ケ原の戦いは、合戦そのものより、どちらが多くの武将の心を繋ぎとめられるかの政治攻防劇で現在と通ずると改めて思った。

正直、私は石田三成びいきである。岡田准一が演じているから、というわけではなく、司馬遼太郎の原作でも昨年の大河「真田丸」の三成も、いわゆる真面目過ぎて、融通が効かず、家康のように人を懐柔することもなく、多くの者に嫌われ、でも義に熱い、その不器用過ぎるピュアな生き様が、何か清々しく思えるからだ。元々、家康にかなう器でもない。頭は怜悧でカミソリのように切れるが、何事にも反応的で、人間掌握の深さもなく、情と利で動く人間心理も家康のように深く会得できなかった未熟さ。でも、何とも嫌いになれないのが私の三成像だ。実は今の日本の政治家に感じられないのは、三成の持つ潔癖症を併せ持つ正義感だと思うところもある。今の日本には家康ではなく、三成がリーダーでいてほしい。

演じた岡田君は、私の三成像よりアクティブで、力強く、正義感が前に出ているけど、この映画の主役としては良かったと思う。たまに台詞が聴き辛いところがあったのと、正義に熱く、不器用故の三成の悲哀の滲みが足りなかったのは惜しい。この点、大河「真田丸」の山本耕史の方が、私の三成像に近い。でも岡田准一の芸能界随一のフィジカルを持っているからこそ、馬術の疾走しつつ弓矢を打つシーンの迫力が生まれたと思う。対する家康役の役所広司はいつも通り、堂々たる演技だけど、これもまた家康の深く柔らかく広い人間像というより、野望に煮えたぎる感が前に出すぎていて、私としてはもう少し、冷静沈着、苦労人だからこその滲む器の大きさを出して欲しかった。他に、三成の右腕の島右近役の平岳大も強面、強靭な感じで良かった。そして、関ケ原の勝敗を決する最大の裏切りをした小早川秀秋の人物像がかなり斬新だった。司馬遼太郎の原作以上に役の東出昌大がギリギリまで悩み、心は三成の方へ、豊臣方の方へ向いていたという演出だった。初芽役は司馬遼太郎の原作でも創作の人物だったが、更に広げて伊賀の忍者設定。設定はともかく有村架純は可愛かったからいいと思う(笑)豊臣秀吉の正妻でありながら、家康押しの北政所役のキムラ緑子のアクの強さもいい。

総じて、戦国史上最大の合戦「関ケ原の戦い」をビジュアル的にも、骨太の歴史ドラマとしても堂々と映画化できたのは、原田眞人監督だからこそ、とも思う。2年前「日本のいちばん長い日」と本作で、現在、名実共に、日本で歴史劇を描くNo.1監督と言えると思う。現場では怒鳴りまくる監督として恐れられているが、これだけの大作を3か月で撮り切ったのはハリウッドにも通じた彼の合理的、かつ力強い演出力の賜物だと思う。以前、「スポットライト 世紀のスクープ」の試写会で終映後に原田監督を見かけて、思わず話しかけたことがある。「こういう挑発的かつ現代に物申す社会派映画が日本には少ないので、ぜひ原田監督に撮って欲しい」と言ったら、今、こんな企画を考えててね、とぽろっと話された。え~、そんなこと言っちゃっていいの、と思ったが、穏やかな口ぶりが印象的だった。これからも歴史劇から社会派劇まで骨太の人間ドラマを創り続けて欲しいと思う。

帰り道、小6の次男と共に遠く過去に想いを馳せ、歴史について語り合えたのも良かった。今、ニュースで観るもの、ネットで観るもの、心を清々させるものは少ない。世界のリーダーと言われる位置にいる人でリスペクトできる人も少ない。何を心の軸にして、人生を進めていくかが本当に難しい時代だと思う。そんな時に頼りになるのは、自分の心の中の良心や志だと思う。この映画の三成が正義かどうかわからない。世の中、勝って官軍。本当の事実も人の評価も動くもの。でも、澄んだ志や理想を持って生きることの大切さ、を仄かに親子で感じ、話せる貴重な映画体験だっだと思う。

命を閉じる時、恥じない生き方をした。志を持って生きた。と思いたいのは、戦国の武将でも、現在の私たちでも、変わらぬ本懐だと私は思う。