KazutoshiArai

ドリームのKazutoshiAraiのレビュー・感想・評価

ドリーム(2016年製作の映画)
4.7
1962年、まだ人種差別の色濃いバージニア州で、NASAの根幹を支えた3人の黒人女性を描いたドラマ…なんだけどこれがむっちゃかっこいい。

ジャケット見てミュージカルっぽいのかな?って思ってたんだけど、全然違った。人間として、むちゃくちゃかっこええ。
 

見どころは4つ。絞ったんだけどそれでも4つ。

まずひとつ目が「組織としての本気」ってことなんだけど、ソ連との宇宙開発競争で遅れをとっていたアメリカが、本気出して人を地球周回軌道に乗せようとした時代。国レベルで組織が一丸となるって凄まじいことだなーって思った。

別の言葉に言い換えると、「全ては『人を飛ばして無事に生還させる』ことが優先される」っていうことで、その意識が国単位ですべての人に共有されていて、様々な「既存勢力」に影響を及ぼしている状態。

独裁者の率いる戦争とか、言論統制が行われている国家の状況でも似たような状況になる気もするけど、なんかこの前向きさが人間の欲求にも沿っている気がするんだよね。

「国レベルの組織が一丸となって『進歩しようとする』エネルギー」って凄まじくて、鳥肌がとまりません。
 
イーロン・マスクもよく言ってるけど、満足に宇宙空間にも行けなかった技術レベルから、「たったの8年で」月に人が着陸したんだからすごいことだよねえ。。

8年前何してた?この8年、月に着陸するだけの進歩を自分してきただろうか?って考えてしまう。
 
天才を生み出しまくったルネッサンス時代とか、歴史に名を残す音楽家が集中した時代もそうだけど、この時代の技術力の向上も半端なくて、固有で特異な「国単位の歴史的進歩」がなぜ起こり得たのか?っていうのにもすごいそそられるなあ。

 
ちょっとひとつ目が長くなってしまったけど、主役の各3人にももちろん見せ場があります。

ドロシーは、黒人初のNASAの技術者になるために、NASAの規定で必要な、高校卒業資格(白人のみが通えるやつ)を取ろうとする。バージニア州ってバリバリの黒人分離政策継続中の州なんだけど、そんななか裁判所に、その高校に通うための「嘆願」をしに行くんだよね。

オラオラで腹立たしい裁判官に、ドロシーが言い添える言葉がもう鳥肌鳥肌。

正当性を暗に主張するのは一番最後で、裁判官自身の仕事への意義を問い、前例のない判断を下すことの意義を明確に言語化し、背中を押し、そのうえで自分のビジョンを語って、国のために、という話をする。

もう完璧すぎるオファー。で、それが彼女の情熱と静謐さと相まってもう鳥肌が止まらない。僕はここがこの映画のハイライトでした。
 
メアリーも、黒人ゆえの不当な扱いで昇進がめっちゃ遅いんだけど、IBMのコンピューターが入ってきたときに自分の仕事がいずれなくなるってことに気づくんだよね。そこから自力でFORTRANを学び、同僚たちにも学ばせ、NASAにとって無くてはならない存在になっていく。

IBMのコンピューターを触っていた技術者たち(白人男性)も、もちろん勉強していたんだろうけど、自分の仕事がかかってる状況で、自ら学ぼうとするメアリーとは全然深度が違う。

あとはキャサリン。黒人・女性に対するひどすぎる偏見が渦巻く環境の中で(「白人以外が使えるお手洗い」に行くために、往復で1600メートルの移動って、、、)徐々に信頼を勝ち取っていき、最後は彼女が発射可否を託されるまでの信頼を得る。

天才的な数学の才能があってこそなんだけど、超いい意味でのしぶとさと誠実さがあったから成し遂げられたこと。
 

こういった天才の話を観る時どうしても、「苦もなくこなす」とか「圧倒的なセンスで」とか「天才的な」ということに僕ら普通の人は惹かれてしまうし、その綺麗な一面しか見ようとしないことが多いんだけど、実際は障害妨害ばっかりだしうまくいかないことだらけだし、思ってたのと違うことばっか。自分のベストとはかけ離れた進み具合だし、いやになるけど、でもそれでも結局「やる」か「やらない」かでしかないんだなって、天才の彼女たちの話を見てて思った。
 

長編の、思いあふれるレビューになりました笑

もちろんまた観たい映画のリスト入り。
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