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レッド・スパローのyoshiのネタバレレビュー・内容・結末

レッド・スパロー(2017年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

なかなか評価が厳しいようですが、この映画は女性の精神的な強さを描いていると思います。
この映画はアメリカ、ロシアがどうこうのと言うより、権力に翻弄されながらも、生きるために困難に立ち向かう「女性の強さ」を描きたかったのではないでしょうか?

その困難が特異な「スパイ」という状況だったように思えてなりません。

男性である私の個人的な意見ですが、ここぞという時に腹を括ったら、強いのはやはり女性だと思うのです。

誤解を招くことを承知で書けば、なりふり構わず動けるのは圧倒的に女性ではないでしょうか?

それを主演のジェニファー・ローレンスは、全体的に表情をあまり変えずに表現している。

足の怪我によってボリショイ・バレエ団での地位を失ったドミニカ・エゴロワ。

病気の母親を抱える彼女は、収入を断たれ、叔父に助けを求める。
そして叔父の仲介によってロシア情報庁の訓練施設へと送られる。

そこで標的の心理を巧みに操り、自らの肉体を武器として諜報活動を行う「スパロー」として育成される訳ですが、パニックを起こすのは最初だけ。

ドミニカはドンドン頭角を現していく。
バレエで培った演技力で嫌々乗り切っているのか思いましたが、そうではない。
1人になったときに弱音を吐いたり、弱味を見せないからです。

腹を括って、その世界で生き抜こうとしているのです。

この訓練施設では性を武器にした国家に忠実な諜報員を育てるため、徹底的に恥の概念と自尊心を捨てさせる。
パワハラ、モラハラ、そしてセクハラの嵐がドミニカの他、訓練員たちを襲う。

この映画に刺激的なエロスを求めて見た男性もいるかとは思いますが(恥ずかしながら、私もそうでした。正直に言います。)、残念ながら、この映画の性描写は全くエロくはないです。

この映画のエロはすべて権力によって蹂躙された不快なものとして描かれています。
なかなか新しい切り口ではないでしょうか?

彼女の初任務は、CIAとひそかに通じているロシア情報庁内部の裏切り者、モグラ(二重スパイ)の情報を得ること。

モグラと通じているCIA諜報員のネイト・ナッシュへと接触を試みる…。

訓練に登場する男性も含めて、恐らく全ての男性は、やっぱりなんだかんだ世間の目とか、プライドを気にするものです。

この映画でも、女性に貶されたり、なじられたら、怒りを露わにしたり、勃起しない男性のメンタルの弱さが描かれる。

それが悪いとか情け無いというわけじゃなく、男性の精神安定はプライドに支えられてる部分が女性よりも多いと思います。

社会の傾向としても、女性の無職より男性の無職のほうが情け無くて悲惨だ、男としてのプライドがないのかと言われる。

男性の強さとは例えると「コンクリート」みたいなもの。
ちょっとした刺激にはびくともしないけれど、大きな力の前では、儚く砕け散ってしまう。
そして簡単に砕け散らないようにコンクリートを外側から、地位や名誉といったものでどんどん塗り重ねていく。

一方で女性の強さは「ゴム」のようなものではないでしょうか。
指一本のわずかな圧力で凹んだりするけれど、時間をあまり置かずにちゃんと元に戻る。
そして形も変えやすく、柔軟性もあって、コンクリートに比べたら軽やかに弾む。

もともとそういう性質を持っているため、男性に比べて軽やかに動けるし、あっという間に変化する。
化粧や服装でイメージがガラッと変わるのは、やはり女性です。

そんな軽やかな女性の柔らかさで、男を優しく包み込み、コンクリートを無理やり壊すのではなく、男性の心を、最終的に男性から開けさせることができる人が、男性にとって理想的な女性なのではないかと思います。

そして、気の利いた優しく包み込む言葉や胃袋を掴む料理など自分からアプローチできるスキルを持った女性っていうのは、その男性を虜にすることができる。

ドミニカは読心術とセックスというスキルに恵まれているわけです。
訓練施設でそのスキルを開花させていく。
セックスも男性を掴む立派なスキルですから。

たぶん多くの女性は、自分から男性にアプローチするなんて、恥ずかしくてできない。それで悩み、傷ついてしまう。

男性が自分から心のドアを開けたくなる女性が男性の理想ならば、自分からアプローチができるのが、「腹を括った女性」なのだと思います。

ドミニカは「国家に協力しなければ死」という状況にいたり、腹を括る訳です。
生活のためとはいえ、相談した相手(ロシア情報庁の叔父)が悪かった。

男性にドアを開けさせるために、自分から変化していくことのできる女性。
そしてそれを恐れない女性。

ドミニカはいつしか、そんな女性になっていく。

変化を恐れない女性は、すごく強いと思います。
女性からは嫌われるかもしれないけれど、「あんなことが出来て羨ましい」と嫉妬される反面、少なからず尊敬されたりする。

生きるために常に「どうしたらいいか?」を考えて変化していくからです。

進化論で有名なダーウィンの名言にこんなものがあります。
「生き残る種とは、最も強いものではない。
最も知的なものでもない。
それは、変化に最もよく適応したものである。」

変化するっていうのは「生き抜く術」でもあるんですよね。
「生き抜く術」とは「生命力」のことだと思うんです。

ドミニカはロシアのスパイとして送られながらも、最終的にCIAにも協力する「二重スパイ」となる。

叔父に頼ったのは間違いですが、もともとスパイ戦に巻き込まれた境遇で、志願者ではないので、国家にそれほどの忠誠心はない。

CIAに傾けば、母親が殺される。
ロシアに傾けば、捨て駒としていいように扱われる。
綱渡りのような微妙な立ち位置。
自分から動き始め、伏線を貼っていく後半と回収するラストは見事でした。

CIAのナッシュはドミニカがロシアのスパイと分かっていながら惹かれていく。
男性だって動物なのだから、本能的に「生命力が強い」=「変化を恐れない」女性を好む訳です。

そしてそういう女性は、周りから見ていても魅力的に映る。
本来女性は、みんなそういう強さ=変化に適応していく力を持っていると思います。

この映画はそういう女性の心理的な変化や精神的強さに注目してみると、とても面白い。

公開時期が近かった女スパイもの「アトミック・ブロンド」と良く比較されますが、あちらはアクションを誇張していて、どちらかというと肉体的な女性の強さが印象強い。

本来スパイは目立ってはいけない存在。
007は男性的寓話、活劇だと思って割り切って見るべきで、本来のスパイにアクションを求めてはいけません。
ずっと続く緊張感のある心理戦や水面下での攻防といった点では、この映画は良く出来ていると思います。

しかし何よりも、私は女性の精神的強さを描いた点を評価したいと思います。

ジェニファー・ローレンスは(性的に)体を張っていますし、表情の微細な変化でドミニカの心理を良く表現しています。
彼女自身、自分がどう観客に見られているか、分かりきった上で、それを逆手に取った出演ではないでしょうか?

観客が見たいのは、私の裸でしょ?
ほら、見たければ見せてやるよ。とでも言われているようで、彼女の性的なシーンは見ていてとても気まずい。

彼女自身にも「腹を括った」女性の精神的強さを感じます。

多分、評価が厳しいのは、そこまで強い女性は見たくないという弱い男性の嫌悪感と、男性を虜にするための変化を恐れない姿(容姿を含む)に対する女性の嫉妬のせいではないかと思います。

よくよく考えると、可哀想な女性ですよ。
シツコイですが、私は女性の精神的強さを描いた点を評価したいと思います。
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