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終戦後、我々は自由を許された。だがあらゆる自由を許された時、人は自らの不可解な限定とその不自由さに気づくだろう。人間は永遠に自由では有り得ない。なぜなら人間は生き、死なねばならず、そして人間は考えるからである。
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堕落論 坂口安吾
自由を扱いきれず不自由になる人間。
生命の誕生は神聖であるが、セックス(ポルノ)は下品で不真面目であるという矛盾。
両親のセックスで産まれた事を認めはするが、実際に目の当たりにするのは死んでもゴメンです。
坂口安吾は人間は自由になれないと論じたが、この映画で自由になれないのは女。
男に押し付けられた使いこなせない自由、男目線での都合のいい女の役。
処女と売女を同時に演じさせられては、そりゃあ破綻します。
映画としては「時計仕掛けのオレンジ」の世界観で「レイプゾンビ5」をやったイメージ。
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社交術でも腕力でも無力でも余りに弱者であった少年は、現実の、地上の城主になることを諦め、幻影の国に一城を築いて、そこの城主になって見たいと考えた。
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幻影の城主 江戸川乱歩
無力を感じる度、不自由を感じる度、京子は自身の立ち位置を見失い、そこが夢か現実か、役か本人かが分からなくなる。
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それは完全を夢みながら完結を知らず、次の美、未知の美へとそそのかされていた。そして予兆は予兆につながり、一つ一つのここには存在しない美の予兆が、いわば金閣の主題をなした。そうした予兆は、虚無の兆だったのである。
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金閣寺 三島由紀夫
あらゆる連続の終着点が虚無だとすれば、京子の探した出口も虚無、即ち死だろう。
一つ一つは鮮やかな絵の具の清流は、混ざり合えば汚ならしい濁流となる。
京子は自由を探してのたうち回るけども、その度に身体を汚く汚す。
自由による肥大で瓶詰めのトカゲとなった京子は、作中の死刑囚の如く、死ぬと分かれば幸福なんだろうか。