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トンネル 闇に鎖(とざ)された男のdm10foreverのレビュー・感想・評価

3.9
【情けは人の為ならず】

諺(ことわざ)って難しいのが多いですよね。
「情けは人の為ならず」
この諺も子供の頃にその意味を間違っていた諺のひとつです。

『誰かに情けをかけることは、その人の為にならない(だから、人に情けをかけるもんじゃない)』
中学生くらいまでそういう意味だと思ってました。「結構ドライな諺だな・・・」と。

しかし、実際は
『人に情けをかけるという事は、巡り巡っていつか自分のところに返ってくる(だから人に情けをかけているというのが人の為だけではなく、自分の為でもあるんだよ)』
という意味だと後々知ることになるわけですが、これってどう思いますか?

勘違いバージョンの方は「ドライ」だけど、かといって正解バージョンの方は「計算高い」というか、結局「損得勘定」?と。僕はそう感じてしまったのです。そう、典型的な「天邪鬼」。

「日頃から正しい事しようね。そしたらきっと良い事あるよ」って子供に言ったら、大体の子供は「良い事があるから正しい事をしよう」と考えます。何か貰えるかもって。逆に「何も貰えないならやらない」って思う子もいるかもしれない。
そんな計算をして行なった善行は本当に「正しい行い」と呼べるのだろうか?と。

この映画を観る前はパッケージを見ただけで『パニック』『スリル』『人間ドラマ』の方向性で考えていました。まぁあながち間違ってはいませんでしたが。
トンネルに閉じ込められてからの主人公ジョンスの描写が本当にリアルというか、人間性が上手く描かれていました。スタローンのようにヒーローでもないし、どちらかと言えば「平々凡々なサラリーマン」でしかない。でもここが大事。
超人的な人間ではなく「普通の人間」が極限状態に追い詰められた時、人はどうなるのか?誰かの為に「損時勘定」なしで行動することが出来るのか?様々な状況の中で突きつけられる選択肢。
「何が起きたのか」「今どうなっているのか」「いつまでこうなのか」「自分は助かるのか」等々全くわからない状況で、果たして「今を生きるべきなのか」「明日のこと考えて生きるべきなのか」によっては、食料や水の配分、HPやMPの残量、希望の強さなど様々なモノが変わってくる。
そんな中で、彼の他にもう一人の生存者がいたことがわかる。しかし彼女は身動きが全く取れない。重い怪我をしている。水も食料も何も持っていない。でも自分は持っている。
さぁ、この状況で彼女に対してどのように接する?

ここで「あの諺」です。
彼女に情けをかけるのは彼女の為にならないとか、そんな状況ではないので「勘違いVer.」は除外。問題は『損得勘定』をする余裕があるか?という事です。

彼女を助け、奇跡的に2人とも生還できた際には自分はヒーローになれる。お国柄で言うなら兵役免除だってあるかも。状況は危機的ではあったけど、時間の経過がわからない分じっくり考えられる。ジリジリとした究極の選択とはちょっと違う。なんなら一旦自分の車に戻って考えることだって出来る。

人間性が出ますよね。僕ならどうしたかな?って。究極に陥ったことはないけど、エゴイスティックな自分が出てきそうで何だか怖い・・・。

で、ジョンスの取った行動は正しかったのか?という点。
僕は正しかったと思います。
あえて自分の分は除けてから彼女に水を与えたのも決してケチだからではなく、事前に救助隊の隊長から数日分の配分を考えて飲むようにと助言されていたから。もともと自分一人分のつもりが更にもう一人分(と1匹)で考えなきゃ・・・となれば、冷静に考えれば配分しますよね。極端に考えれば、彼女は動けないんだから車に水があるとか言わなければわからないし。自分だけ助かろうと思えばね。だけど彼はそうしなかった。
冷静に判断して最善を尽くしたと思う。そしてそこに「打算」や「損得勘定」はなかった。
ただ「生きる」という事だけを切に願ったが故の行動。

なんとなく・・・初めてあの諺の意味がぼんやりとだけど見えた気がした。

その他にも韓国のお国柄や国民性がわかりやすく描かれていて、あえてこれを自分の国で作ったところに意味があるんだろうね。政府やマスコミのあり方に対する強烈なカウンターパンチだよ。セウォル号沈没事故の時の政府の対応やマスコミの対応、被害者家族や全く関係ない野次馬的国民・・・それぞれの立場で激しい自己主張。あれは国民性なのかな・・・。
被害者にすら浴びせられる罵声とかは聞いていて胸が痛くなる。

だからこそ、最後のジョンスの一言とサムアップポーズでスッキリ出来たのかもしれない。
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