MasaichiYaguchi

否定と肯定のMasaichiYaguchiのレビュー・感想・評価

否定と肯定(2016年製作の映画)
4.3
洋画の原題を邦題にする場合、本来の意味とかけ離れたものになる時があるが、この作品の邦題は映画の内容を理解した上での秀逸な“意訳”になっていると思う。
原題“Denial”の直訳は「否定」、邦題はこれに「肯定」を付け足している。
「否定」にはホロコーストに対する「否定」と、それに対するヒロインの「否定」という意味等を持たせているが、「肯定」にはホロコーストがあったとする「肯定」の意味以外にも含みを持たせていて、終盤でその真意が明らかになった時、心に温もりが広がっていく。
この作品は、ナチスによる大量虐殺はなかったと主張するイギリスの歴史家デヴィッド・アーヴィングと、その「ホロコースト否定論」を看過出来ないユダヤ系アメリカ人の女性歴史学者デボラ・E・リップシュタットとの間で繰り広げられた裁判の顛末を描く。
このデボラをユダヤ系の血を引くレイチェル・ワイズが演じているのだが、彼女はデボラの裁判でのジレンマや葛藤、そして怒りを心の琴線に触れるように表現する。
そして本作は法廷劇を通して、同じ英語圏でありながら、アメリカとイギリスの違いを浮き彫りにする。
この裁判は、デボラがアーヴィングから名誉棄損で提訴されたことから始まるが、イギリスの司法制度では被告側が立証責任を負っていて、デボラは彼女の弁護団と共にアーヴィングの主張がフェイクであること証明しなければならない。
更にアメリカ人であるデボラは、イギリス王立裁判所というアウェイで、国民性や気質の違うイギリス人弁護団と共に裁判を闘わなければならない。
デボラは迫害の歴史を持つユダヤ系アメリカ人として真っ向から挑もうとするのだが、弁護団は彼女とは全く違うアプローチで裁判を闘うことを主張する。
だから彼女は、アーヴィングだけでなく、考え方の違う弁護団という“身内”とも対峙しなければならない。
ユダヤ人として他人を信用せず、自分の良心に従って生きてきたデボラは、彼女の人生を左右しかねない裁判で、彼女を弁護する人々に“全権”を委ねることが出来るのか?
この作品は、今世界を覆う、歴史の汚点を無かったことにしたり、臭いものに蓋をしようとする時流に問題提起をすると共に、人を否定するだけでなく、肯定したり、信用したりする素晴らしさを、一人の女性の闘いを通して描いていて心に残ります。