真田ピロシキ

否定と肯定の真田ピロシキのレビュー・感想・評価

否定と肯定(2016年製作の映画)
4.1
この映画から強く感じたことは2つあって1つには邦題にもされている両論併記の罠。最初から過激な異論は唱えてなくて、確かにユダヤ人の虐殺はあったが組織全体に下された命令ではない→そんなにたくさん殺してはいない→証言の諸々が矛盾している→よってホロコーストは捏造であるという風に段階を追って事実は歪められて行く。卑劣なのは「私達も残酷だと認識しているがどんな集団も汚い事をやり得る」と相対化する事。その言葉だけを取り上げるなら間違った事は言っていないので反論しづらく、中立を装って偏った与太話が自分は冷静かつ客観的であると思いたい人達に浸透して行く。どっかの島国で聞いたもとい現在進行形で聞いている話ですね。もう本当嫌です。どっちもどっちー♪とノンポリを決め込めると思っている輩には。そういう手合いが本当に中立だった記憶がない。握手を拒んだシーンは自称中立論者には大人気なく映るのかもしれない。だけど妥協したらいけない点は確かにあるのだ。

愚にも付かない歴史修正陰謀論など「アホが何か言ってるだけでまともな人は耳を傾けない」と無視してやりたい所だが、そうした結果がビューティフルジャパン。国に限らず自分が属する集団に対しては耳障りの良いストーリーを信じたくなりがちで、その気持ちにつけ込んで愛国商法が栄える。そんな流れに抗うには精神力に身の安全にお金のような多大なエネルギーが要求され、大多数の人は主人公達のように闘えるはずがないという現実を突き付ける。あなたが反ファシズム思想でも戦時中のドイツに生きていたならきっとナチスには逆らえなかったよと。この弱さが本作に感じた2つ目のテーマ。自分もいよいよヤバくなったら言えない。だからこそせめて今アクションを起こしてる人は出来る限り支援して足を引っ張るような事はやりたくない。

こうした映画が意識にまで染み込む人が多ければ良い。世間に評価される大体の創作物は正義を描いているはずなのに、現実では悪としか言えない価値観を支持している人が多いのを見るとその場限りの感動で消費されてしまっていると感じる。描かれたものを自分の中に生かすのが創作に救われたって事じゃないかな。この映画は事実を基にしているので多く救われる点があるはず。