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君の名前で僕を呼んでのKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

君の名前で僕を呼んで(2017年製作の映画)
3.0
No.1198[全てのマイノリティに送る夢と願い] 60点

予告編の画が非常に綺麗だったので鑑賞。モーリス・ピアラ「愛の記念に」やエリック・ロメール「海辺のポーリーヌ」なんかを思い出す避暑地映画でもある。

正直なところ、この映画はそこまで好きになれなかった。理由は恐らく、登場人物の感情を理解できなかったからだ。お互いの感情を口に出して言うまでは、お互いの気持ちを知ることは出来ない。そこに至るまでの気持ちも整理がつかず分からない、という状態も普通にある。自分の気持ちが分からないことなんてしょっちゅうなので、そこは理解できる。しかし、”登場人物は自身の心情の整理がつかず、自身の気持ちを理解できていない”という状態を”観客である私が理解”したとしても、共感までには至らない。本人すら理解できない気持ちに共感するのは無理だからだ。
だからなのか、お互いの気持ちが分かったシーンでの嬉しい気持ちにも、その後の急な展開も乗り切ることが出来なかった。

人間誰しも何らかのマイノリティに属しているのだが、その経験がある人にとってこの物語は理想的なものだろう。コミュニティの仲間(ここではオリヴァー)は聡明で優雅であり、家族は理解を示し、背中を押す。この夢物語に、マイノリティでいることを諦めた父から”マイノリティであることに誇りを持て””不自由に心を削るなら心を解き放て”と言われるのだ。これは、原作者アシマンや脚本担当アイヴォリーが父の口を借りて言いたかった願いなのだろう。

本作品の舞台となるのは1983年の北イタリア、夏の6週間である。AIDSが大々的に問題になる1987年よりも前に設定されており、敵視される暗黒時代の前ではあるが偏見に満ちた時代だろう。この時代において、ふたりはふたりの想い出を秘密にするために、永遠にするために、互いの名前を呼び合う。”君の名前で僕を呼んで、僕の名前で君を呼ぶから”。非常に美しい題名だ。

予告編を見た時から思っていたのだが、画面の色が美しい。特にポスターになっている空の色や水、街並み、ふたりの裸に至るまで、画がとても美しいのだ。この点だけでも見る価値はあるのではないか。

どうやら、「恋人たちの距離」のような作品にすべく、続編を企画しているらしい。関係者が無事に続編を作れることを祈って。
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