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君の名前で僕を呼んでのTOTのレビュー・感想・評価

君の名前で僕を呼んで(2017年製作の映画)
4.8
滴って眩しい性の目覚めと恋の喜び。
君は僕、僕は君。
あなたとひとつになりたい。
唯一の他者を欲して高揚し傷つき惑う青年のシェルターとして機能する北イタリアの風土と家族。
開始早々に良作の感触があり、最後は傑作の興奮に変わる。
ロメールやベルトルッチ、トリュフォー、自分が思春期に観たクラッシックの数々を思い起こさせつつ感傷を退けてエポックメイキングな新しいクラッシック。
アイヴォリーの脚本、監督が選んだという音楽、サヨムプー・ムックディプロームの光も闇も湿り気を帯びた豊かな撮影、夏とエリオの性急さそのままのようなピアノのリズムと軽快な編集、ロングショットの長回しの対比が作るテンポ。
風や足音、ドアの開閉、食器の音。エリオを守るように誰かがいる気配を感じさせる音響が優しく印象的だ。
何より最高の主演二人。
こんなアーミー・ハマー見たことない。
ティモシー・シャラメの演技は間違いなく映画史に刻まれるだろう。
エリオ。エリオ。オリヴァー。
ラストショットの3分30秒、一生にしたらほんの一瞬で変容する青年の時間を演じたティモシー・シャラメの表情を忘れないだろう。
(『大人は判ってくれない』のジャン=ピエール・レオに匹敵するよね?)

監督が今作を「ある青年が大人への第一歩を踏み出す物語です。青年は独自の方法で欲望を満たしていく。彼の欲望はあまりにも強く純粋で、本人も周りもそれを受け入れている。だからゲイ・ロマンスの話ではない。ここで語っているのは“欲望”についてであり、それは社会的や歴史的に、あるいは社会の思想で定義づけることはできないものなのです」と言っていたことに納得する。
https://i-d.vice.com/amp/jp/article/vbxk4d/luca-guadagnino-call-me-by-your-name-director-interview
他に、考えた点はいくつかある。
たとえば海外でも議論されたらしいエリオとオリヴァーの年齢差については、イタリアの成人年齢は18歳だが同意の上での性交渉は14歳(当時も現在も)。
アメリカは殆どの州が16歳だが、ニューヨークは17歳、カリフォルニアは18歳東京異なる地域もあるから、より糾弾されやすいのだろう。
今作によって成年者による未成年への性の捕食を助長するのではという懸念は、否定もできないが肯定もできない。
でも私は、今作はあくまで2人の若者の愛情と合意に基づいた性行を描いており、成年者による未成年者への性的搾取と思わない。
『ダーティー・ダンシング』や『シザーハンズ』いやそれより、男性が50代40代、女性が20代10代の作品はたくさんあるが、それら全てが年齢差のナイフで刻まれるとも思わない。
劇中で何度も現れるギリシア彫刻は『モーリス』にも登場した古代ギリシアにおける友愛的同性愛観の暗喩は耽美ではある。
ただ、女性軽視の描写は留意が必要。
けれども、原作では1987年の設定を、ヨーロッパにエイズ禍が広がる前の1983年に変えて、青年に対する脅威を抑えて欲望を肯定的に描写し、メンターを配して理想的なまでに彼を保護する環境を強調していることを尊重したい。

異性愛でも同性愛でも両性愛でも無性愛でも、それらどこにも属さなくても、あなたの愛は誰かに規定されなくていい。
あなたはあなたでいい。
どんなに心痛めても、あなた自身を否定しなくていい。
自分もエリオの父のような寄り添える大人でいたいし、エリオの父のような存在がオリヴァーにもいればと思うし、そう思わせる映画が現代に作られたことを嬉しく思う。
もし自分の性と愛に悩む若者がいたら、今作と公開中の『彼の見つめる先に』をおススメしたいし、そうでない方にも観られたら良い。
なかなか感想が書けなかった。
劇中ではあまり触れられなかった当時のユダヤ系社会における同性愛の考え方とか調べつつ、原作読んでまた観て考えます。
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