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君の名前で僕を呼んでのQMのレビュー・感想・評価

君の名前で僕を呼んで(2017年製作の映画)
3.4
同性愛をテーマとした映画って、こんなに期待値上げて、フタを開けたら困難を受けてふたりの恋は盛り上がりました。以上!だったらどうしようと、観賞前にはいつもちょっとした不安がある。

この間職場に新しく入ってきた人が4、5人の歓迎会中、唐突に「じつは同性愛者なんです」ってカミングアウトしてきた。これはいきなり「じつは騎乗位がすきなんです」と言われたみたいな感覚でして。いきなりその距離感かつオケージョンで性的嗜好の話をしてくることが違和感だった、その人が男を好きなことがではなく。自分がストレートだから繊細な気持ちを汲めてないだけなのかなぁ。とにかく、別に男が好きだろうが女が好きだろうが、熟女好きだろうがJK好きだろうが、まじでどっちでもよい。それでいうと、ウチの会社が「うちの会社はほかの人種も、同性愛も、受け入れるグローバルでオープンな会社です!」みたいなインナー向けメッセージを打ち出してて、そんなこと言ってる時点でホントヤバドメ・・と入社早々思ったのを思い出した。

脱線したが、この映画において一番作者が伝えたかったことはエリオの両親の振る舞いおよび言葉に濃縮されているとおもう。

主人公のふたりは完全にふたりの世界に入ってしまっていて、一生に一度あるかないかの運命に浮かれきっている。恋の胸の苦しさやピュアな欲求を剥き出しにしているシーンはどれもイタリアの田舎の美しい自然と80年代のモサっとした、それでいてキラキラした時代の空気感がしっかりと感じられ美しい。

が、やはりお父さんの言葉である。
どんなものであれ、自分から湧き出た強い気持ちに対してちゃんとむきあって、噛み砕くという作業は、かならずどれくらいかの時を経てその人の美しさと繊細さを醸成していくんだとおもう。

そして、ふたりのこの恋は、必ずしも相手がその人だったからということだけではなく、その時の自分自身や環境やいろんな要素がうまくハマって落ちた穴。
その人を、ではなく、その穴の中で見た風景や感情が心の中の芯みたいになって、その後の自分自身を形成していく。

うまく伝えられないけど、経験したことのあるひとにはきっと伝わる、そんな話。

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ちなみに、観賞以降桃(すもも…?)を見ると穴空けるシーンを想起するようになってしまった。
QM

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