あまのかぐや

君の名前で僕を呼んでのあまのかぐやのネタバレレビュー・内容・結末

君の名前で僕を呼んで(2017年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

80年代。美しい北イタリアの風景の中で描かれる17歳の少年・エリオと、アメリカからやって来た父の助手オリヴァーのひと夏の恋模様。

公開時に観た知人の多くは、特に若い人が「涙で後半、はなしが良くわからないほど」とか「感動して震えた」と語っていたのが印象的でした。

が、わたしには彼女たちのような美しい魂はもう残ってなかったのか、「いやそこまでは」というのが正直な感想でした。誰に共感したらいよいか、魂が淀みきった私には入り込めない世界でした。

イタリアつーとこは、夏中こんなふうに遊んで暮らせるんだな、とか、遊ぶのはいいけど自転車で走りまわるか川で遊ぶか、昼寝するしかやることないんだな、とか、虫が多くていやだな、とか、そんなことばかり気になって、なかなか集中できない。

そしてアーミー・ハマーの見事な体躯や色気ある所作(踊りはへんだけど)はわかるけど、彼の一番の持ち味、キレイな瞳を映さないでどうする!もっとアーミーハマーを!と終始いらいらしていました。

それは途中で、「ああ、監督の術中におちていたか」と、さすがに純愛不感症なわたしも気付きました。

ある一線を越えたときから、急にオリヴァーの表情や目の動きをはっきりと「こちらにも」わかるように見せるようになります。

そして、逆にエリオの表情が、サングラスをかけたり顔をそらしていたりでつかみどころがない。オリヴァーがエリオの背中を追いかける側になるのです。

それまでは、「スタイルと声と顔の良い(悪いところないじゃん!)謎めいた年上のアメリカ人」ということでエリオが無関心を装いながらも気になって仕方がない様子でオリヴァーのことを追いかけてたのですが。

思うに、その一線の時点でエリオはオリヴァーを追いかけるよりも、もっと大きな関心ごと「別れの日」があったのだな。と。関係をもったことで、それを強く意識したんじゃないかな、と。

これ以上心が深入りするのを必死で抑えているようなエリオの大人になった苦しさと、逆にずっと年上のオリヴァ―が、エリオの気持ちを伺うようになった稚さが切なかった。

エリオにも「こっち」にもオリヴァーの表情を見せなかったのは、オリヴァーが相当前半からエリオに惹かれてた思いを隠すためだったのか。大人の自制なのか、はたまた小ズルいだけなのか、どちらとも取れるから厄介なのです。

前半のもやもやから一気にこのあたりから姿勢をただして見入ってしまいました。「誰にも感情移入なんかできねぇ」といいつつ、わたしも「惹かれてはいかんいかん」と思いながらも、オリヴァーにはまっていたのでは、という気になってきました。

夏の終わりに、オリヴァーを見送るエリオ、エリオを置いていくのオリヴァーが、ラスト一日をふたりだけで、ミラノだったか駅のまちで過ごすシーンがあります。ふたりのことを知っていたパパとママのはからいで。

甘い言葉があるわけでなく、先の約束なんかもなく、お互いなにも語らない駅での長いハグ。このへんになるとセリフそのものより「狡猾さと保身、必死さとお互いへの思い」などなど、諸々が混ざった感情の勝った演技に「こりゃ、アミハマさんもティモシーくんもお互い恋に落ちても何の不思議もないわ」「つか恋に落ちるだろうよ普通」とまでおもえる。前半ぜんぜん見せず出し惜しみしたアミハマさんの目の演技、炸裂です。

この二人は、思い切りラストのネタばれですが、オリヴァーにはアメリカに2年近く付き合ってた女性がいて、帰国後婚約します。そしてエリオにも友達以上恋人未満から体の関係ができたばかりの可愛い彼女がいます。

基本ヘテロなひとたちが、なんでか理由つかないけど、惹かれてたまらなくなった。恋におちた。

アメリカの婚約者はもちろんしらないだろうし、エリオの彼女も(月並みな言い方ですが)「はしかのようなもの」「夏が終われば自分に帰ってくる」と一歩ひいてるのか。

オリバーとの約束の時間を気にしてちらちら時計をみながら彼女といたす場面がありました。これは彼女は、すでにエリオの心が別に向いていたかを知っていたか知らなかったか、それによって意味が違ってくるんじゃないかと思いますが。

ギリシャ彫刻をテーマにしてる研究者だからなのか、時代にしては、同性を好きになってしまった「禁」よりも、いずれ終わらねばならない「断」の方に苦しむのが、新しいというか今風であるというか。「禁断」+「周りを巻き込んでなお止められない狂おしい恋」という重さよりも、まわりの優しさ鷹揚さに守られた感覚がね。重さを緩和していた。逼迫した狂おしい感情よりも、甘い思い出になること前提。

お互い夏が終われば、日常に戻るんだろうよ、そのまま「一生夏のバカンス」という思いで過ごすわけにはいかないのはわかってるよね?

そんなちょっと斜に構えた感想に、ラストにくさびを打ち込むダークホースが本作中ずーっとにこにこと横にいたエリオのパパでした。彼のラストの言葉がすべてだったような気がします。

またオリヴァーがいっていたようにその当時の父親なら「自分の息子を病院にぶちこむだろうよ」という時代。それを、ひと夏、一時期の得難い絆(「絆」という表現をパパは使いました、これが良い)を得た息子を称賛しつつ、でもその季節はもう戻らないことも知っているから一緒に心で泣いていたのだろうよ。パパ…。

わたしは未熟だし、心が曇りきったおとなだから「古傷をえぐられるようでいたたまれない」とか「振り返りたくない黒歴史」という気がしちゃって、何度も観たいと思えるような映画に思えないのでしょうね。そしてパパのように過ぎた過去の自分の傷から目をそらさず、かつ優しく包み込むようなこと言えない…

エリオがラスト一人で暖炉の火に向かう長回しのシーンは、回想シーンをみせるような陳腐な演出はなく、それでも、戻らない夏の景色のなかのアメリカからきた嵐のような美形の姿を、自然とこちらの頭の中に再現してみせるような、素晴らしい表情でした。

エリオが女の子だったら、シアーシャ・ローナンか、少し前のミア・ワシコウスカがやってただろうな、と思いました。精神も体も不安定な、まだ性別のない「生き物」という感じが。

水、足などわかりやすいものから、水着、ユダヤの星のペンダント、海から上がった彫刻、桃、など…そ、そうくるか、という使い方のもろもろの小道具使いが官能的過ぎる!夏とはいえ、ほぼ半裸で家の中プラプラ歩いている美少年や、北イタリアの陽光の中のアミハマ本体を差し置いて余りある色気です。

このエリオ役のティモシー・シャラメくんが、この役でオスカーの主演男優賞のノミネートされたことで、この映画、すごくスポットライトがあたりました。しかし前世紀の映画になってしまいますが、男と男の苦しい恋を描いた名作「ブロークバックマウンテン」が、当時まったく賞関連から無視されていたことを考えると、世の中すごく変わったんだなぁと思います。「ブロークバック」のヒース・レジャーに会いたくなりました。

あとで知ったのですがオリヴァーの年齢が24歳って・・・熟成しすぎでしょー!アミハマさん!(しかも吹替は津田健次郎!ひええ)
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