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君の名前で僕を呼んでのeiganoTOKOのネタバレレビュー・内容・結末

君の名前で僕を呼んで(2017年製作の映画)
2.0

このレビューはネタバレを含みます

フェミニストとして評価できない点があり、映画館で号泣していた何人もの方々には申し訳ないけどマジクソと言いたい。

それと、一部BL映画として賞賛と言う名の消費宣伝の仕方は、監督が「ゲイの映画として扱わないで」という意思を無視しているし、映画の意図も汲み取れてないのでは?

教授が研究しているギリシャ。多分考古学かな?
ギリシャは男性の同性愛(優秀な年上の男性が、優秀な年下の男性に文化や学問を教えながら、性的な関係も持つ)ことを推奨していた。
だからエリオの両親は当然知識として同性愛批判はしない。エリオの葛藤も描かれない。(この時代のイタリアは同性愛は非犯罪化はされている)
しかし現実としては、1983年だと同性愛、セクシャルマイノリティが認められているわけでもない時代。
さらに言えば、原作は1987年設定だそうで、当然HIVによる同性愛迫害があるのだが、映画では設定をずらしたことにより漂白された。

ギリシャの同性愛は、男性のみ認められているし、男尊女卑の国だからまあこの映画に出てくる女の添え物パセリ感はんぱないすね。舞台はイタリアだけど、この人達の思想はイタリア政治には全く興味ないという描写が出てくる。ベラベラ政治について喋る年配の男女を、呆気にとられて話さない教授や、迷惑と言うシーン。かなり意地悪な描き方。「VOTO」投票ポスターには目もくれない。
つまりはこの家族はギリシャ脳。

ガールフレンドになれなかった女の子が、終盤傷ついたエリオに「私は怒ってない。好きだから。ずっと友人」と言わせてしまう「優しさ」のフィクションが暴力的に感じる。
女の子とは汚ねえマットレスでセックスしたり、オリヴァーとイチャイチャしたすぐ後に穴に突っ込んだり、桃に突っ込んだり…
女とセックスと、桃でオナニーが全く同レベルなのに、エリオが「僕ってば最低」という葛藤や反省もないから、フツーに「お前ナメてんのか?」と言いたくなりますね。

最後、痛みは痛みとして覚えておくように、という教授=父のセリフは、一見切なく人生の教訓じみてますけど、「え?母親は知らんのに、息子の恋愛を羨ましいと言っちゃうの?それ妻不在の世界ですが大丈夫ですか?」て話。

しかしこの映画は、女を添え物として扱うのがギリシャからくるものなら納得。
納得したうえで、全然乗れない。

BLに乗れないとか、一夏の恋の切なさがつまらないとか、そんな批判はしません。
切なくてキュンキュンして、さらに社会をしっかり描いているなら、『ムーンライト』の方が最高。

桃のシーンや、おパンツ被るシーンはエグみがあってめちゃくちゃ良かったのに、原作よりも漂白しているそう。
原作ではゲロ吐いちゃった直後、すぐにディープキスする描写も、なんかハンパに綺麗になってて、映画としては美しければ良いという非常につまらないものになってしまった。
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